Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 項目構成
アメリカでは初の有人宇宙船による飛行計画で、NASA(アメリカ航空宇宙局)が計画し、1961年から63年まで実行された。マーキュリー計画では、宇宙飛行士がのる漏斗(ろうと)形をしたカプセル1個(底面の直径1.9m、長さ2.9m、重さは1.3t)だけで構成されていた。ニッケル合金製の与圧室には大気圏への再突入のためのチタン製の耐熱用外殻がとりつけられ、固体推進剤ロケット3個による逆推進装置をもっていた。このマーキュリー宇宙船につかわれたカプセルは、のちのジェミニ宇宙船やアポロ宇宙船の原形となった。 打ち上げロケットには最初のマーキュリー3号(フリーダム7)、4号(リバティ・ベル7)ではレッドストーン準中距離弾道ミサイルを改良したもので、直径1.8m、全長25.3m、重さ30tで、推進剤は液体酸素をつかっていた。そののちの6号(フレンドシップ7)から最後の9号(フェイス7)までは、ICBM(大陸間弾道ミサイル)を改良したアトラスD(直径3.1m、全長は29m、重さは118t、推進剤は液体酸素)を使用した。なお、マーキュリー計画では当初、7人の宇宙飛行士が選ばれたことにちなみ、宇宙船にすべて「7」の数字がつけられた。 マーキュリー計画の目的は、人間をのせた宇宙船で飛行をおこなうことと、自動制御装置のバックアップを利用しながら、ある程度手動により制御して無事に帰還すること、人間が宇宙空間で生存できることを証明することであった。マーキュリー計画はソ連のあとをおうかたちであったが、当時は未知であった打ち上げ時の加速度や、無重量状態、宇宙酔い、宇宙放射線などの人体への影響、孤独な環境下での精神状態などを詳細に観察・記録したデータが、のちのジェミニ計画、アポロ計画に生かされることになった。
アメリカで初の有人宇宙飛行は、1961年5月5日、マーキュリー3号(フリーダム7)にのったアラン・シェパードによってなされた。同年4月12日のウォストーク1号にのったユーリー・ガガーリンについで2番目の宇宙飛行となったが、高度約185kmの大気圏外に達したあと、亜軌道を距離約483km、時間はわずか15分28秒で大気圏に再突入する「弾道飛行」であった。
1961年7月21日にはマーキュリー4号(リバティ・ベル7、バージル・グリソム)も3号とほぼ同じ弾道飛行をおこなった。ウォストーク2号による初の地球周回飛行に先をこされたが、62年2月20日にうちあげられた6号(フレンドシップ7、ジョン・グレン)では地球を3周した。5月24日の7号(オーロラ7、スコット・カーペンター)では6号が報告していた宇宙船の周囲にあらわれキラキラとひかる「宇宙ホタル」が、宇宙船から発散された蒸気が宇宙で凍りついた霜(しも)や氷の微粒子であることを解明した。10月3日の8号(シグマ7、ウォルター・シラー)は軌道上を6周し、その間、宇宙船内で長時間にわたり機械をあつかう作業が可能なことを証明した。マーキュリー計画で最後となった9号(フェイス7)は63年5月15日にうちあげられ、軌道上を22周、計画中でもっとも長時間の34時間20分という飛行記録を達成し、ゴードン・クーパー宇宙飛行士は宇宙でねむった最初のアメリカ人となった。 →宇宙探査の「有人宇宙計画」
© 1993-2008 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2008 Microsoft
![]() ![]() |