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鳥取県鳥取市青谷町の日本海から南へ約1km入った低地にある弥生時代前期末から古墳時代初めの複合遺跡。弥生前期末~後期を中心とする集落遺跡と想定されるが、住居跡や墓はまだ発見されていない。弥生時代には遺跡の近くまで海岸線が湾入して入り江になっており、舟を利用した交易もおこなっていた。 1998年(平成10)、国道9号青谷羽合道路建設のために県教育文化財団による調査発掘がはじまり、2001年4月までの約3年間に貝塚や木の実などのほか、高度な技術でつくられた多数の工芸品が発見された。また、少なくとも109体分といわれる多くの人骨が出土し、頭蓋骨内(ずがいこつない)から弥生人の脳の一部が発見されて注目された。遺跡が湿潤なところにあるため、粘土質の土中にすぐうめられた遺体は、水分の多い土中で空気からも遮断されて良好な状態で保存されたと考えられる。なお、01年度からは鳥取県が中心となって学術調査と出土品の調査研究をおこなっている。
遺物には、多くの土器や骨角器、石器があり、中国製の鉄器や貨泉とよばれる1世紀の中国でつくられたお金、絹織物なども発見されている。また、国内初とされる次のようなものがあった。共鳴箱部分とその上の琴板がのこっていて完全形に近い琴、クジラの骨でつくった精緻(せいち)な剣、渦巻き文と山形文のある盾(たて)、連子窓(れんじまど)の原型ともいわれる棒が縦にならんだ最古の窓、大型の魚をとる結合式固定銛(もり)などである。どれをとっても弥生時代の最高水準のものである。また弥生人の糞石(ふんせき)や、1つの遺跡としては国内最多の240点もの占い用卜骨(ぼっこつ)も出土しており、豊富で独特な祭祀文化(さいしぶんか)があったとみられている。
とくに注目された弥生人の脳は、弥生後期の3体分の頭蓋骨の中に一部がのこっていた。古代人の脳がみつかったのは国内でははじめてである。 これらの頭蓋骨の推定年代は約1800~1900年前で、2000年6月に遺跡東側の溝跡で発掘された渡来系弥生人とみられる大量の人骨中からみつかった。もっとも保存状態のよい20~30代の女性の脳は、一般の脳の4分の1程度約300gがのこっている。また30~40代の男性の脳は5分の1程度約230gがのこり、左脳と右脳間の溝やしわも確認できる。もうひとりの男性の脳は数十グラムだけ確認された。 当初は、保存状態のいい脳組織から細胞核の中にあるDNA(デオキシリボ核酸)を抽出できれば、骨から抽出したミトコンドリアDNA(→ ミトコンドリア)よりはるかに豊富な遺伝子情報がえられると期待された。しかし、神経細胞の髄鞘(ずいしょう:ミエリン鞘)しかのこっていないことがのちに判明した。 脳が残存していた男性の頭蓋骨には、致命的な傷がみられたが、ほかの人骨にも鏃(やじり)や刃物など武器で傷つけられたものが多数みられた。これらの人骨は、女性や子供をふくむ10代から40代のものとされ、敵との争いに女性や子供がまきこまれ、遺棄されたとも考えられる。中国の歴史書「後漢書」東夷伝には、2世紀後半に「倭国大乱」があったと記しており、卑弥呼があらわれる以前のこの「倭国大乱」をしめす可能性もある。 なお、人骨のなかには骨組織がつぶれて曲がった胸椎もみつかっており、脊椎カリエスとみられるため、これは現在のところ、日本最古の結核症例とされる。
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