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  • 重源 - Wikipedia

    重源 (ちょうげん、 1121年 ( 保安 2年) - 1206年 7月12日 ( 建永 元年 6月5日 ))は、 中世 初期の 日本 に生きた人物。 平安時代 末期から 鎌倉時代 にかけて活動した 僧 である。 房号 [1] は 俊乗房 (しゅんじょうぼう、 俊乗坊 とも記す)。

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    『時を超えた夢工房 重源(ちょうげん)の郷』。山口県山口市徳地・ノスタルジックな里山で昔懐かしい山村で紙漉や木工体験を楽しめます。 ... 重源の郷 〒747-0235 山口県山口市徳地深谷 1137 TEL:0835-52-1250 FAX:0835-52-1025

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重源

重源 ちょうげん
百科事典項目

1121~1206 平安末期~鎌倉初期の僧。号は俊乗房、もしくは南無阿弥陀仏。京都の紀氏の出身で、俗名は重定。最初、真言宗の京都醍醐寺に出家し、大峯山にのぼるなど、修験道系の修行をおこなっていたが、阿弥陀仏への信仰を深め、高野聖()の一員となる。

1167年(仁安2)中国の宋にわたり、栄西とともに帰国したともされるが、入宋が事実かどうかはわからない。81年(養和元)に、前年、平重衡(たいらのしげひら)の焼き討ちによって消失した東大寺の再興造営勧進(かんじん:寄付をつのること)の宣旨(せんじ:天皇の命令をつたえる文書)をうける。

以降、東大寺再興に力をつくし、各地を勧進してまわる。1185年(文治元)には、宋の工人・陳和卿(ちんなけい)の手による大仏の鋳造が成功し、後白河法皇(後白河天皇)を導師として開眼供養(供養)がおこなわれた。さらに95年(建久6)には、大仏殿や中門の造営がおわり、後鳥羽天皇源頼朝が臨席して落慶法要がいとなまれた。

重源は、東大寺再建にあたって、宋から大仏様とよばれる建築様式をとりいれた。それらの建築物の多くは後に焼失してしまったが、その様式は今も南大門にみることができる。また、勧進や造営の活動について重源自身が記録した「南無阿弥陀仏作善集」ものこされている。

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