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1942~ 中国の国家主席。在任2003年~。2003年3月開催の第10期全国人民代表大会(全人代)第1回会議で、江沢民にかわって国家主席に選出された。02年11月の中国共産党第16回全国代表大会(第16回党大会)後の中央委員会で党の総書記にも選出されており、江沢民同様、党と政府両方の実権をにぎった。歴代の中国共産党指導部の中では若い59~60歳での就任であった。 ついで2004年9月、05年3月に、それぞれ党および国の中央軍事委員会主席も江沢民からひきつぎ、全権を掌握した。これにより、名実とも毛沢東、鄧小平、江沢民に代表される各指導者層につぐ「第4世代」指導者の中心として、首相の温家宝、副主席の曽慶紅(そけいこう)らとともに、21世紀初めの中国をリードしていく態勢がととのった。 江沢民は多芸でパフォーマンスが得意だったが、対照的に胡錦濤は堅実な実務家タイプで、総書記就任までとくにめだつ業績はなく、過去の指導者のような立志伝もほとんどもちあわせていない。アメリカのニューヨーク・タイムズから「謎(なぞ)めいた人物」と評されたこともある。
1942年12月生まれで、出身は安徽省。65年に理工系の名門である北京の清華大学水利工学部を卒業、黄河上流にある劉家峡発電所の建設にたずさわった。近年の中国の最高指導部には理工系大学の出身者が多いが、胡錦濤もその1人である。 1970年代半ばに、活動の拠点を甘粛省にうつし、同省の建設委員会や共産主義青年団(共青団)などではたらいた。この時に、甘粛省党委員会の第一書記をつとめていた宋平(元政治局常務委員)にみいだされ、抜擢(ばってき)された。共青団第一書記(1984年)などを歴任し、共産党の党務に精通するようになった。
1985年には貴州省党委員会書記に就任。省クラスの党委員会書記としては最年少42歳という若さだった。さらに88年にはチベット自治区の党委員会書記に転出し、過酷な自然条件のもとで4年間滞在、分離独立運動の高まりに対しては、戒厳令をしいて沈静化させた。 こうした地方での仕事ぶり、とりわけ辺境地区での経験が買われて、1992年に、当時中国の最高指導者だった鄧小平にみこまれ、49歳の若さで党の最高意思決定機関である政治局常務委員に就任した。その後は国家副主席(1998年)、党中央軍事委員会副主席(1999年)と重要ポストを歴任、江沢民のもとで外交や党務、軍事など幅広い経験をつみ、次世代のトップ指導者の椅子(いす)を約束された。
共産党中央党学校の校長もつとめ、社会主義の今後のあり方については確固とした考えをもっており、従来からの改革開放政策および、江沢民が提唱し第16回党大会で規約にもりこまれ、2004年には憲法にもくわえられた「三つの代表」思想の熱心な推進者でもある。外交面では、02年5月にはじめてアメリカを訪問、国際舞台にデビューした。ブッシュ大統領らとの会見もそつなくこなし、及第点と評価された。 当初は、トップ指導者としてはやや線が細いとの評価もあり、2002年11月の総書記就任に際しても国内の一部から「激動期をのりきるには不安がある」として、江沢民の留任をのぞむ声があった。そのため、重要ポストである中央軍事委員会主席には江沢民が留任した。
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