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国の栄典のひとつ。科学・芸術の諸分野で文化の発達に関して顕著な功績のあった者に授与される勲章。等級差別のない単一級の勲章。勲章の制式は、章(しょう:メダル)、鈕(ちゅう:つまみ)、綬(じゅ:リボン)からなる。章はタチバナ(橘)の花びらを図案化したもので、綬をとおして首にかける。章と綬をつなぐ鈕は橘の葉と実がデザインされている。英文名称はOrder of Culture。 文化勲章をつける際の服装については、「勲章等着用規程」で定めがある。それによれば、勲章等を着用する場合の基本的な服装は、男子は燕尾服(えんびふく)、女子はローブ・デコルテもしくはローブ・モンタント、またはこれらに相当する制服であるが、文化勲章の場合、男子は紋付羽織袴(もんつきはおりはかま)、またはフロック・コートかモーニング・コート、またはこれらに相当する制服、女子は白襟(えり)紋付またはこれに相当する制服に着用できるとされている。
文化勲章は、1937年(昭和12年)2月11日(紀元節。現在の「建国記念の日」)の文化勲章令(勅令)によって制定された。当時の日本は、軍事面では大国化の道をあゆんでいたが、科学、芸術などの分野では欧米先進国に遅れをとり、模倣の域を出ていなかった。そのため、独創的な文化の育成をはかる文化奨励策のひとつとして創設された。 第1回の伝達式(現在は親授式)は同年4月28日、内閣賞勲局総裁室(現在は皇居宮殿松の間)でおこなわれた。受章者は科学分野から長岡半太郎、本多光太郎、木村栄の3名、文学分野から佐佐木信綱、幸田露伴の2名、美術分野から岡田三郎助、藤島武二、竹内栖鳳、横山大観の4名、計9名だった。 文化勲章は、現在、故人追贈などは別にして、毎年1回11月3日に発令されているが、これは1949年の第8回以降のことで、それまでは不定期だった。37年の第1回のあと、第2回40年11月10日、第3回43年4月29日、第4回44年4月29日、第5回46年2月11日、第6回48年11月2日となっている。第7回として49年7月10日に歌舞伎の6代目尾上菊五郎が受章しているが、これは死亡した直後に追贈されたもの。 文化勲章をめぐる「初の事例」をいくつか紹介しておこう。1943年に受章した歴史・政治評論家の徳富蘇峰は、文化勲章を返上した初のケース。彼は戦時中の国粋主義的な言動から、戦後A級戦犯容疑者に指名された。逮捕はまぬがれたが、これをきっかけにいっさいの公職を辞退し、46年に文化勲章も返上した。ちなみに、43年の受章者の中には、49年に日本人としてはじめてノーベル賞を受賞した湯川秀樹がいる。 女性初の文化勲章は、1948年に受章した日本画家の上村松園だった。ちなみに、文化勲章の伝達式には受章者本人しか出席できなかったが、64年以降配偶者も参加できるようになった。 1969年の文化勲章では、外国人初の受章が閣議決定された。受章したのは、同年7月20日人類初の月面着陸をはたしたアメリカの宇宙船アポロ11号(→ アポロ計画)の宇宙飛行士3名。船長のニール・A.アームストロング、操縦士のエドウィン・E.オルドリン・ジュニア、マイケル・コリンズの3名は11月4日に来日し、その日に伝達式がおこなわれた(日本人受章者の伝達式は3日)。また、2008年(平成20年)には日本文学者のドナルド・キーンが受章した。この事例でわかるように、文化勲章の受章資格は日本人にかぎるといった国籍条項などの法令規定はない。
現在、文化勲章の受章候補者は、文部科学大臣が決定する文化功労者の中から選考し、内閣総理大臣に推薦するかたちをとっている。選考対象はその年度の文化功労者発令予定者もふくまれる。受章者の予定数はとくに決まりはないが、毎年度おおむね5名とされている。 現憲法下では、国の栄典にはいかなる特権もともなわないことになっている。文化勲章も例外ではない。ただし、受章候補者がふくまれる文化功労者には年金が支給されている。これは1951年(昭和26年)制定の文化功労者年金法によってさだめられた。同法によって、文化の向上・発展に関し、その功績がとくに顕著である者を文化功労者と認定し、その功にむくいることを目的として、年金支給の道が開かれた。文化功労者年金は、一代限りの終身年金で、現在の支給額は年額350万円(非課税)となっている。 文化勲章の受章者数は、2008年度(平成20年度)現在、349名(アームストロングら4名をふくむ)をかぞえる。
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