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民俗宗教とは、一般の民衆の間に広まった、雑多で多様な形態の信仰や儀礼などのことをさしている。民俗宗教に近い概念としては民間信仰があり、両者はほぼ同じ意味の言葉としてつかわれている。ただ、民俗宗教と民間信仰とを区別してつかう場合もある。
民間信仰が、ほとんど組織化されていない個人レベルでの信仰であり、日常の生活の中に完全にくみこまれているのに対して、民俗宗教には、なんらかの組織が存在し、集団性をともなっている。また、民俗宗教への信仰は、日常生活に埋没したものではなく、それを信仰する人々に、日常をこえた非日常の体験をあたえる可能性をひめている。民間信仰が組織化され、宗教教団に類似した集団を形成したものが民俗宗教であるということもできる。 たとえば、万物をはぐくむ力としての太陽への崇拝(太陽崇拝)は、日本にかぎらず、どの社会にもみられる普遍的な民間信仰だが、それを太陽神として神格化し、一定の儀礼をさだめ、集団で儀礼をおこなうようになれば、そこに民俗宗教が成立したと考えることができる。天照大神をまつる伊勢神宮への信仰を核とした伊勢信仰は、こうした民俗宗教のひとつであるとみることができる。 また、民俗宗教は、教団を組織する創唱宗教とは対立するものと考えられている。創唱宗教においては、独自の教えを確立し、それを周囲の人間に説き聞かそうとするカリスマ的な教祖が存在する。教団は、その教祖の教えをうけいれ、それを信仰する信者によって形成される。これに対して、民俗宗教の場合には、その核に教祖は存在しない。教えを広める布教者がいるだけで、信者にしても、ひとつの信仰をもつのではなく、同時に複数の民俗宗教にかかわることが多い。 民俗宗教は、日本にかぎらず、世界じゅうの地域や民族においてみられる。創唱宗教が確立される以前の、あるいは創唱宗教が他の地域からとりいれられる以前の、地域に独自な土着の信仰は、すべて民俗宗教としての性格をもっている。日本の神道の場合には、土着の信仰を核としており、長い間、体系化もおこなわれず、また教団も組織されていなかった。その点で、神道を民俗宗教の一形態としてみることは可能である。
一般には、ひとつの創唱宗教が支配的なキリスト教文化圏やイスラム教文化圏においては、民俗宗教はすでに消滅し、存在しないという見方がある。さまざまな神々への信仰を許容する多神教の日本やアジアの諸国には、民俗宗教が残存しているが、ただひとつの神への信仰を説く一神教の文化圏では、民俗宗教は消滅してしまったというのである。 確かに、キリスト教文化圏やイスラム教文化圏においては、キリスト教やイスラム教からはなれて、独立した民俗宗教が存在するわけではない。しかし、民俗宗教は、キリスト教やイスラム教の中にとりこまれ、その中にふくまれるかたちで存続している。ルーマニア生まれの宗教学者、ミルチア・エリアーデは、そうした民俗宗教をふくみこんだ創唱宗教を、宇宙的宗教とよんだ。 創唱宗教の教祖は、みずからの教えを確立していく上で、体系化されていない民俗宗教のあり方を批判し、否定していく。そして、民俗宗教とみずからの教えの間の差異を強調し、信者に対して、民俗宗教をすて、新しい信仰を選択することをもとめる。 しかし、信者の側は、かならずしも教祖の教えに対して従順ではなく、民俗宗教の信仰を放棄しないことが多い。そこから、創唱宗教と民俗宗教の両者が混交する「習合」という現象が生まれる。たとえば、キリスト教の聖母マリアへの信仰は、キリスト教が進出した地域の民俗宗教における地母神崇拝と習合した。メキシコで、土着の地母神、トナンツィンと習合したのは、その一例である。 創唱宗教は、民俗宗教に対して批判的な姿勢をとることが多いわけだが、逆に、民俗宗教の側が、創唱宗教を排斥しようとする動きをみせることもある。日本の村で、新宗教の信者が、その宗教独自の葬儀や墓への埋葬の仕方をとろうとして、周囲の村人からきびしい批判をうけた例もある。
日本の民俗宗教は、村落共同体(→ 村)における信仰としての伝統をもっている。村落共同体の中には、山間部にあって、稲作をしていない地域もあるが、多くは稲作を生業としている。稲作をすすめる上では、田植えや稲刈りなど共同での労働が必要で、共同体の結束を強化するためにいとなまれるのが、氏神の祭である。祭の形態はさまざまで、神輿や山車をつくって、神々をそこにやどらせるものもあれば、能や神楽などの芸能を神に奉納するものもある。→ 稲作儀礼 一方、村落共同体を構成する各家での行事となるのが、祖先崇拝の祭祀(さいし)である。家においては、仏壇に先祖の位牌(いはい)をまつる。墓もまた、先祖をほうむった場所として崇拝の対象となる。その祭祀の中心となるのが盆の行事で、盆棚をもうけて、ご馳走を用意し、先祖の供養をおこなう。 日本の民俗学の開拓者である柳田国男は、盆の行事が、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)とは無関係に成立したものであると主張した。この主張は牽強付会(けんきょうふかい)といわれても仕方のないものであったが、柳田は、先祖の霊は、自分の生活していた家から遠くはなれることはなく、春には田の神となってイネ(稲)の豊作を守護し、秋の収穫がおわると、山の神になるという解釈をとった。さらに柳田は、村の氏神もまた祖先の霊にほかならないと説き、日本の民俗宗教の核に先祖祭祀があるという説をうちたてた。
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