Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 項目構成
貨幣制度の中心となる本位貨幣の単位が、一定量の金と等価交換の関係にあるように法的にさだめられた制度。具体的には金貨本位制と金核本位制に大別される。 金貨本位制は、金貨が現実に流通していたかどうかは別として、金貨の自由鋳造・自由廃幣・輸出入の自由をみとめられた制度である。第1次世界大戦以前にひろくおこなわれ、通常はこの場合が狭義の金本位制と解されている。 金核本位制は、金貨を本位貨として鋳造せず、金兌換(だかん)の請求に際して金地金がもちいられる金地金本位制と、自国通貨は金兌換されないが、金兌換の可能な他国通貨あるいは金為替という支払指図書と一定比率で交換できる金為替本位制とにわけられる。
19世紀にいたるまで、多くの国は金銀複本位制を採用していた。金本位制が世界的体制になったのは19世紀後半で、商品生産のいちじるしい増大と世界貿易の基礎拡大をひきおこした産業革命の結果だったが、その拡充にあたっては先進国から後進国へ大量の資本輸出がおこなわれた側面も無視できない。 金本位制の世界化、すなわち国際金本位制の確立はまた、各国ともこの制度にそなわっている自動調整作用をとおして、3つの基本目標(国際的な商取引や金融取引の決済を容易にすること、外国為替相場の安定を確立すること、国内通貨の安定を維持すること)が達成されるとみなしたことによっても促進された。 たとえば、ある国の国際収支が赤字になると為替相場が下落し、その国から海外へ金が流出する。その場合、国内の通貨供給量(→ マネーサプライ)がこれに応じて減少し、物価の下落を通じて輸出競争力が増大する。その結果、国際収支は好転し、物価が上昇し、為替相場が安定する。
金本位制を最初に確立した国は1816年のイギリスである。以後、71年にドイツ、73年にアメリカ、97年に日本、そして1900年にほとんどの主要国は金本位制に移行したが、第1次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によってその機能は一時期停止した。戦後、制度の内容は変化したとはいえ、ドイツをのぞいて各国が金本位制に復帰し、この再建された金本位制は29年の大恐慌(→ 恐慌)後もしばらく継続した。 だが、イギリスと日本は1931年に、アメリカは33年に、フランスは最後になったが37年にこの制度を停止した。この間、各国は平価の切り下げによる輸出促進政策を展開したが、結局、その効果は他国の金本位制離脱によって相殺されてしまった。 アメリカにおいて平価の切り下げを最初に実施したのはフランクリン・ルーズベルトで、1933年4月、彼の大統領就任直後に修正金地金本位制へと移行した。この制度のもとでは、法律により金貨流通は禁止されたが、金は依然としてドル価値を表示するのにもちいられ、1ドルは35分の1オンスの金量と等価であると規定された。第2次世界大戦後は、豊富な金準備に裏づけられたアメリカだけが固定相場で金とドルの交換性を保証するIMF(国際通貨基金)体制が創設され、その意味では戦後の新しい制度は基軸通貨として機能するドル中心の金為替本位制であった。 この制度も、やがてアメリカの慢性的な国際収支の悪化からドル危機におよぶと、1968年には金の2重価格制、71年にはニクソン声明によって金とドルの交換停止にいたり、崩壊した。73年には、1ドルは38分の1オンスの金量から42.22分の1オンスの金量に切り下げられ、これに対抗して各国は変動為替相場制に移行した。 国際通貨制度における金の役割は、1975年、アメリカ政府が金を国際通貨というより商品とみなしてその保有額の一部を市場で売却したことでさらに減少した。78年にはアメリカ議会は、IMFと共同で国際通貨制度において金本位から正式に離脱することを承認した。したがって今日、どの主要国の通貨も金とは兌換されず、金の通貨としての機能は停止したままになっている。
© 1993-2009 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2009 Microsoft
![]() ![]() |