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  • 西洋音楽 - Wikipedia

    西洋音楽 ( せいようおんがく )とは、 ヨーロッパの音楽 のことである。特に 17世紀 頃から 20世紀 初頭にかけて西ヨーロッパ諸国や北アメリカで発達した音組織やスタイルを基礎としている音楽のことである。

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西洋音楽

西洋音楽 せいようおんがく Western Music
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

ヨーロッパおよびヨーロッパ人が移住した地域の音楽。インド、インドネシア、イスラム文化圏、中国、日本などとならんで、世界の主要な音楽体系の一角をになう。本項では西洋の芸術音楽について記述し、民俗音楽ポピュラー音楽には言及しない。

II

古代の音楽

紀元前2000年ごろのヒッタイト音楽については楔形文字(くさびがたもじ)による記録を解読する努力がつづけられているが、現在のところ、知られている最古のヨーロッパ音楽は、前500年ごろ~後300年ごろの古代ギリシャと古代ローマの音楽である。現存するギリシャ音楽は10曲ほどで、アルファベットの文字譜で記録されているが、確かな解読法は確立されていない。しかし、古代ギリシャとローマの音楽観および音楽理論は、アリストテレスボエティウスプラトンピタゴラスといった哲学者の著作を通じて詳細につたえられている。それによれば、音楽とはアポロン、神話の中の楽師オルフェウス、そのほかの神々が創造したものであり、宇宙を支配する調和の法則を圧縮したミクロコスモス(小宇宙)と信じられていた。さらに音楽は、人間の思考と行動に影響をおよぼすものと考えられた。古代ギリシャ音楽は、一度に1つの旋律だけを演奏するモノフォニーが基本である。ただし、もとの旋律が演奏されている間に、一部の楽師が多少変形した旋律を同時に演奏することがあり、その場合にヘテロフォニーとよばれるやや複雑な構造がつくりだされた。

ギリシャ音楽のリズムは、言葉と密接に関連している。歌では、歌詞の韻律がそのまま音楽のリズムになった。器楽でも、詩のさまざまな韻律パターンにしたがってリズムがきざまれた。ギリシャ音楽の構造は数種類の旋法を基盤にしており、それぞれの旋法には固有の旋律型とリズム・パターンがあった。このような音楽体系は、今日のアラブ音楽インド音楽にも見いだされる。ギリシャの各旋法は、固有の旋律的・リズム的な特色をもっていたので容易に識別することができた。古代ギリシャの哲学者は、各旋法には独自の感情があり、人は音楽を聴くことによってその旋法がもつ感情を体験できた、と書きのこしている。ただし、ギリシャ音楽の残存例はあまりに少なく、この考え方が実体験にもとづくものなのか、あるいは仮説にすぎないのか定かではない。

古代ギリシャの楽器では、アポロンの楽器とされた竪琴型(たてごとがた)のキタラと、ディオニュソスの縦笛アウロスがよく知られている。キタラには聴く者の気分をおちつかせたり、ふるいたたせたりする効果があり、アウロスは興奮を伝達したとされる。これらの楽器は宗教儀式のほか、劇場でも古代ギリシャ演劇の伴奏にもちいられた。器楽は前300年ごろに最盛期をむかえ、たくさんの奏者が参加してコンクールが盛んに開かれた。

古代ローマ人はギリシャの音楽伝統をそのままうけついで、独自の貢献はほとんどしていないようである。ただし、何種類かの金管楽器を発達させ、戦場や軍隊の行進で活用した。また、水圧を利用して空気をパイプにおくりこむヒュドラウリス(水圧オルガン)を発明した。

ギリシャ音楽

III

中世初期

中世の職業音楽家は、ほとんど全員がキリスト教会につかえていた。教会は古代ギリシャや古代ローマの宗教を異教とみなして排斥したため、それらの音楽は演奏されなくなり、ギリシャ、ローマの音楽は衰退した。

初期キリスト教会の典礼にもちいられた無伴奏の聖歌については、ほとんどわかっていないが、キリスト教の聖歌がユダヤ教会の典礼音楽や当時の世俗音楽から生まれたことは明らかである。5~7世紀に、ローマ・カトリック教会で発展した聖歌の旋律が目録化され、典礼儀式の中の特定の場所にわりあてられた。ローマの聖歌はやがて、教皇グレゴリウス1世にちなんで「グレゴリオ聖歌」とよばれるようになる。グレゴリウス1世は、教会の儀式の中で音楽を秩序だてて使用することを奨励し、みずからも何曲かの聖歌を作曲した可能性がある。グレゴリウス1世のみならず、のちの教皇もヨーロッパのあちこちでうたわれていた聖歌よりグレゴリオ聖歌をこのんだため、ついにはこの聖歌がほかのほとんどの聖歌を駆逐した。グレゴリオ聖歌やほかの聖歌は、多くの写本によって今日までつたえられている。これらの写本はネウマとよばれる記号で書かれており、ネウマ記譜法は現代の記譜法の始祖となっている。

はやくも9世紀には、無伴奏の旋律ではなく、もっと手のこんだ音楽をもとめる気運が、生じていた。聖歌の声部と別の声部を同時にうたう試みが、このころはじまった。こうしてできた音楽様式が、オルガヌムである。初期のオルガヌムは、聖歌の旋律と、それをただ4度ないし5度上にうつしただけの旋律が同時にうたわれるだけであったが、のちに付加された声部は独自の対旋律をもつようになった。オルガヌムは、ポリフォニー(多声音楽)とよばれる音楽構造への第一歩であり、その意味で音楽史上できわめて重要なものである。ポリフォニー原理の広範な使用こそ、西洋音楽の際だった特徴にほかならない。

演奏家が同時に演奏される別々の声部をすぐによみとって演奏するためには、正確な記譜法の開発が不可欠であった。ピッチ(音高)を明確にしめすために、4線、5線、それ以上の数の譜線がもちいられるようになり、現在の五線譜と同様にそれぞれの譜線と譜間が特定のピッチをあらわした。この記譜法を完成した人物は、11世紀イタリアのベネディクト会修道士グイード・ダレッツォといわれる。

音価(音の長さ)は、ピッチよりも記譜が困難であった。11~12世紀には、短いリズム・パターン(リズム・モードとよばれる)をしめす「モーダル記譜法」が考案される。1つのリズム・パターンは、別のリズム・パターンが指示されるまで、何度となく反復された。モーダル記譜法をもちいると、同時に演奏される各声部にことなったリズム・パターンを導入したり、曲の途中でパターンをかえたりすることが可能になり、リズムの動きに多彩な変化をくわえることができた。13世紀末になるとモーダル記譜法はすたれて、音価の長い音符と音価の短い音符をくみあわせる方法がもちいられるようになり、現代記譜法の原型ができる。

オルガヌムは教養ある聖職者が中心となってそだて、発展させたが、教会の外には、もっと単純な構造の世俗音楽があった。これは、フランスのジョングルール、後代のトルバドゥールやトルベール、あるいはドイツのミンネジンガーなど、旅回りの楽師たちが演奏したモノフォニー音楽である。

教会音楽も世俗音楽も、さまざまな楽器を使用した。弦楽器ではリラプサルテリウム(チター型の楽器)、ビエル(中世のビオラ)、鍵盤楽器ではオルガン打楽器では小さな太鼓や鈴がもちいられた。

IV

中世後期

14世紀初め、音楽の様式に大きな変化が生じる。新しい様式は、フランスの司教フィリップ・ド・ビトリによって「アルス・ノバ(新芸術)」と名づけられた。ビトリ自身、アルス・ノバの主要な作曲家のひとりであった。アルス・ノバ様式の音楽は、人間の多様な個性と創意を尊重しはじめたヨーロッパの新しい気風を反映して、前代の音楽よりも複雑になった。ビトリはまた、リズムをしめすことができる新しい記譜法、すなわち定量記譜法を体系化した。この記譜法では、現在の記譜法のように拍子記号が使用された。この結果、14世紀の作曲家はリズムの扱いにより大きな自由を獲得する。

アルス・ノバの音楽は、さまざまな側面で従来になかった複雑さをみせた。たとえば、リズム・モードの原理を拡大して多数の音をくみあわせたリズム・パターンを使用し、それを楽曲の1声部もしくは複数の声部でくりかえし反復する技法を開発した。この技法はアイソリズム(ギリシャ語で「等リズム」の意味)とよばれる。アルス・ノバの作曲家はアイソリズムの1声部を土台として、その上にいくつもの旋律を重ね、こみいった多声構造の大曲を作曲した。土台となる基本声部には通常、グレゴリオ聖歌がつかわれた。こうした借用旋律のことをカントゥス・フィルムス(定旋律)という。アイソリズムの原理がもっとも盛大に活用されたジャンルは、宗教声楽曲モテットである。14世紀のモテットの中には、複雑な多声構造にくわえて、各声部がことなった歌詞を同時にうたうものもある。

ミサ曲も、アルス・ノバの時代に複雑化した。1300年以前のミサ曲は多声楽曲であることがめずらしく、たとえ多声曲であってもミサの一部をバラバラに作曲していた。14世紀になってはじめて、ミサ通常文(毎日のミサでかわることなく使用される文)の5つの部分(キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ)が、ひとまとまりとして作曲されるようになった。これをこころみた最初の作曲家は、フランスのギヨーム・ド・マショーである。ただし、彼のやり方にならう作曲家は、15世紀になるまでいなかった。

世俗音楽に関心をむけたことも、アルス・ノバの際だった特徴だった。その時代の代表的作曲家が宗教音楽のみならず、世俗音楽を作曲するようになったのは史上はじめてのことである。13世紀のトルバドゥールやトルベールのうたっていた単旋律の歌が、14世紀の作曲家によって2声ないし3声のシャンソンにつくりかえられた。シャンソンでは、歌詞を1行ずつ反復してうたい、その反復パターンが音楽の構造をも形成した。フランスではロンドー、ビルレー、バラードの形式がひろくもちいられ、イタリアではマドリガーレ、カッチア、バラータがこのまれた。当時のイタリアで最大の作曲家は、フランチェスコ・ランディーニであった。

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