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項目構成
集合行動とは、第三者的にみれば、不特定多数の人たちの集合(マス)においてなりたつ社会的現象であるが、そこにまきこまれた個人の側からみれば、その集合(マス)に規定され、みずからマス(集合)の匿名的な一員としてとる種々の行動をさしている。これは、ある人が所属集団内でとる規範的行動や役割期待にのっとった一連の行動とは明らかにことなるものである。このような集合行動には、流言、デマ、流行などのほか、暴動時や災害時にみられるモッブ的な群集行動や、試合見物の観衆のとる行動、あるいは世論や投票行動などがふくまれる。ここでは流言と流行をとりあげてみよう。
流言は、事実ではないある話題が人づてに急速な広がりをみせ、それにまきこまれた不特定多数の人たちの感情を一定の方向にかたどって、ある型の行動にかりたてる自然発生的な社会的現象である。その伝播(でんぱ)経路や範囲を予測したり追跡したりすることはむずかしく、流言にまきこまれている個人についても、自分がその過程に関与していると自覚することはほとんどないといってよい。昭和50年代前半の一時期に急速に全国にひろまった「口裂け女」の流言などは、たしかに「根も葉もない事実無根の風説」としての流言といえるかもしれないが、たいていは戦争や震災などの現実的な恐怖や、地震予知や経済恐慌などに関連したなんらかの社会的不安を背景にして生じるものである。実際、第1次オイル・ショックのころに某町で発生した信用金庫が倒産するとの流言は、トイレット・ペーパーの買い占め騒動など、オイル・ショックのもたらした不安定な社会・経済的状況を背景に生じたものであった。 流言がひろがるときの個人に注目してみると、ある個人は他者からつたえられるその話題にとびつくだけの感度(興味、関心)を有し、しかも場合によってはつたわってきた内容を増幅して(尾ひれをつけて)他者につたえるような機能をもち、さらに、それがすばやくほかの人に伝播するような外的条件(人が密集しているなどの)を保持している必要がある。流言の発端はなにげない話であることが多く、それが人づてにつたえられる過程で脚色され、尾ひれがついたり物語性をおびたりしていくようである。ほかの人からつたえられた内容を各自が正確に別の人につたえるかぎり、流言はひろがらないといってよい。 流言形成の個人的条件を整理してみると、(1)あらかじめ共通の関心をもっている潜在的流言集団の一員であること。これはその個人が流言の話題にとびつくための必要条件である。(2)取得した情報を能動的に、尾ひれをつけてほかの人につたえてしまう動機があること。これには戦争や災害時の恐怖、個人の深層における願望、不安、憎悪、人をおどろかせたりすることで満足をえたいという欲望、見栄や自己顕示欲などが考えられる。 なお、デマは人々をまどわせたり一群の人たちを中傷したりするために、ある特定の人または集団がありもしない情報を意図的にながす政治的な操作のことであり、自然発生的に生じる流言とは区別される必要がある。
流行は、ある社会において従来とはことなる行動様式が特定の人たちにあらわれ、それが一般化されて普及していくさまざまな過程のうちにふくまれるものであり、その特殊な形態といってよい。その目新しい行動様式が短期間に急速にひろまり、また急速にあきられて、すたれてしまうというような特有の性格をもっているのである。 流行は昭和40年代半ばに大流行したミニ・スカートのようなファッションをはじめ、髪型、髪の色(最近の茶髪などに典型的)、靴の形、バッグ、玩具、飲料、自動車など多岐にわたる。あるときに流行して定着していったもの(たとえば女性のショートカットなど)をのぞけば、一般に流行には、ひろまってあきられ、すたれてしまう減衰型と、周期的にくりかえされる循環型がある。 ファッションを例にとって流行の過程を考えてみると、一般にはまず潜在期がある。つまりごく少数の人たちが新しいファッションをためしている時期で、これがのちに流行になるかどうかはこの時点ではまだわからない。 次に初発期がある。これは新しいファッションの存在がかなりの程度知られ、しだいに同調者があらわれる時期であるが、まだ高級品売場にしかおかれていない時期に対応する。 次は急騰(きゅうとう)期である。これは新しいファッションへの抵抗や警戒が弱まり、このファッションの採用者が激増する時期にあたる。ここまでくると個人間相互の影響力も強まり、同調傾向によって流行がひろがる方向に自動作用がはたらく。ファッションの場合には、質や値をおとしても大量販売がめざされるのがこの時期にあたる。 次は停滞期である。すでに流行は頭打ちになってそれ以上の広がりをみせなくなる時期がこれで、ファッションの場合には、この時期にすでに次の初発期がはじまっているとみてよい。 最後は衰退期である。これはこの流行が明らかにピークをすぎ、これを採用する者よりも、これを廃棄してほかのファッションにうつる者のほうが多くなる時期にあたる。 以上の流行の過程のどの時期に各個人は参加するのかという観点から、流行参加者を類型化してみると、(1)先駆者、(2)初期同調者、(3)初期追随者、(4)後期追随者、(5)落後者に区別することができる。また、このような参加の時期の違いは、参加の動機の違い(めだちたい人とめだちたくない人)や、社会的圧力への同調傾向の違い(自分がそうしたいという人と、皆がそうしているから自分もするという人)にもとめることができるようである。
社会心理学の領域としての「社会的影響」は、個人のもつ信念や態度あるいは行動が他者の存在や他者とのコミュニケーションによって影響をうける過程のことをいう。「集団と個人」の項で簡単にふれた集団圧力や集団規範、「社会的態度」の項においてみた態度変化もそこにふくまれるが、ここでは同調行動、権威の服従を中心に概観してみよう。
社会問題化している「いじめ」において、クラスメートからの「しかと(無視)」がそれを身にこうむる生徒にとってじゅうぶん「いじめ」になることからもわかるように、ある集団に所属する個人にとって、ほかの成員のしめす態度や言動の影響はきわめて大きい。集団規範からの逸脱が排除や「村八分」をまねくことはいうにおよばず、集団の中でめだちすぎることも、「でる杭(くい)」とみられて、ほかの成員からなんらかの制裁をまねきやすい。視点をかえれば、これは個人の信念や態度や行動を集団の基準に合致させる方向に圧力がくわわっているということである。同調とは、そのような圧力のもとで個人がその信念や態度や行動を集団基準の方向に変化させることにほかならない。要するに、集団内では「右へならえ」の行動が生じやすいということである。 アッシュは集団圧力下における同調行動を、次のような実験をとおして明らかにした。つまり彼は、線分の長さの異同の判断をもとめるというふれこみで被験者をつのり、標準刺激と同じ長さの線分と、それより長い、あるいは短い線分を次々に提示し、被験者に標準刺激との異同をこたえさせた。被験者は8人いたが、そのうち7人はさくらで真の被験者は1人だけであった。さくらは実験者のだすサインにしたがって、全員そろって実際とはちがう長さの判断をくだすことを事前にきめてあった。このような状況下で次々に長さの判断をさせていくと、真の被験者はほかの成員の一致した判断(真実とはちがう判断)の圧力に屈してしまい、最終的には自分の判断をほかの被験者のそれに同調させてしまった。この簡単な実験は、集団圧力がいかに容易に個人の同調行動をみちびくかをしめしている。 同調にはいくつか種類がある。今の例のように、自分のくだす判断を「ただしい」とは思わないままに周囲に同調する場合を「追従」という。これはほかから罰や制裁をうけることを回避する目的で表面的に同調している場合であり、同調する個人の私的な信念や態度は変化しないことが多い。この場合の社会的影響は、個人に対して集団基準や集団規範に合致した行動をとるようにはたらいているところから、規範的影響ともよばれる。 次に、ある人を尊敬したり高く評価したりしているときに、その人物のようでありたいという他者への同一化から、おのずと自分の信念、態度、行動が変化していく場合の同調がある。さらに影響をあたえる人の主義・主張に心酔したり共鳴したりして、自分の信念、態度、行動をかえる場合の同調もある。宗教的回心などはその典型である。あとの2つは他者の意見、主張、判断、行動を参照して、自らの信念システムを変化させ、自らがより適切な判断や行動をするように変化することである。そこから、これらは情報的影響ともよばれる。
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