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    そのとき、ルソーはふと「農民にはパンがありません」といわれて、「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が、答えたことを思い出したという記事が原典であるといわれている。それは、ルソーが新しい愛人が出来たヴァラン夫人と ...

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ルソー,J.J.

ルソー Jean-Jacques Rousseau
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

1712~78 フランス啓蒙期の哲学者・社会学および政治学者・音楽家・植物学者。きわめてすぐれた作家でもある。

1712年6月18日、スイスのジュネーブに生まれる。誕生の数日後に母親が死亡したため、おじとおばにそだてられた。13歳のとき、彫刻師に弟子入りするが、3年後にはそこをにげだし、裕福で思いやりのあるバラン夫人の秘書にして友人となる。バラン夫人はルソーの生涯と著作に深い影響をあたえた。42年パリにでて、音楽教師、楽譜筆写生、政治家秘書などで生計をたてる。フランスの哲学者ディドロのしたしい友人となり、ディドロから「百科全書」の音楽の項目の執筆を依頼されている。

II

ボルテールとの対立

1750年、ディジョン・アカデミーの懸賞論文に「学問芸術論」で入選し、1752年には彼のオペラ「村の占い師」が初演された。「学問芸術論」と「人間不平等起源論」においてルソーは、学問と芸術と社会制度は人間を堕落させるものであり、自然状態ないし原始状態のほうが文明化された状態より道徳的にすぐれているという見解をとる。しかし、これら著作の説得力ある文体も、フランスの文学者ボルテールの反感をまねき、彼の嘲笑的な論評をうけ、両者はしばしばはげしく対立した。

III

モンモランシー隠棲

1756年、ルソーはパリをはなれてモンモランシーに隠棲(いんせい)し、この地で小説「新エロイーズ」(1761)を書く。有名な政治論文「社会契約論」(1762)では、市民的自由の問題を展開し、神権に反対し民衆の意思を擁護することによって、フランス革命のイデオロギー的な背景を準備した。社会契約説

小説「エミール」(1762)において、ルソーは新しい教育論を展開し、バランスのとれた自由に考える子供をそだてるには、抑圧よりも感情表現が重要であると強調した。この小説は、教育界に大きな影響をおよぼした。

IV

外国への逃亡と帰国

ルソーは、その因習にとらわれない考え方のためにフランスとスイス官憲の反感を買い、多くの友人をうしない、1762年にロシアに、ついでイギリスに逃亡。イギリスでスコットランドの哲学者ヒュームと親交をむすぶが、やがて仲たがいし、公開書簡で罵倒しあうまでになる。イギリス滞在中、「植物学」(1802。死後出版)の草稿を書き、68年、ルノーという偽名をつかってフランスに帰国した。70年には、もっとも注目すべき著書であり自伝でもある「告白録」の草稿を完成する(1782。死後出版)。「告白録」は透徹した自己分析をふくみ、ルソーの生活におけるはげしい感情的・道徳的葛藤をえがきだしている。78年7月2日、フランスのエルムノンビルにて死去した。

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