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言葉と身振りによって表現される芸術の一形態。きめられた場所「舞台」で、演じる者「俳優」が、見る者「観客」の前で、戯曲「ドラマ」をとおして表現する一連の行為。一般に演劇は、戯曲とミュージカルの上演をさすことが多いが、共通の特徴をそなえていることから、オペラやダンス、サーカス、カーニバル、パントマイム、ボードビル、人形劇、ページェントなどもふくめることがある。 戯曲である「ドラマ」は、文学の一形態で、散文・韻文いずれの場合も、多くは対話のかたちで進行し、上演を目的として書かれたものである。ドラマという言葉は、ギリシャ語の「行為する」からきているために、その概念はしばしば「行動」とむすびつけて考えられ、ドラマティックという形容詞が意味するように、そこには葛藤(かっとう)・緊張・感情の高まりなど、劇的な行為が表現されている。 演劇の目的と特質に関しては、アリストテレスが前330年ごろ、有名な「詩学」の中で起源と役割を論じて以来、さまざまに論議されてきた。演劇は、芸術表現以外に娯楽・宗教的儀礼・道徳的啓蒙(けいもう)・政治的目的・意識改革などのためにつかわれてきた。
西洋演劇の起源はわかっていないが、古代のさまざまな宗教儀式がその起源であると考えられる。豊饒(ほうじょう)祈願の儀式、収穫の祭りなどの儀式や呪術(じゅじゅつ)などにはつねに演劇的な要素がふくまれるからである。
古代ギリシャと古代ローマの演劇が主として古典時代とよばれる。戯曲はギリシャ語とラテン語で書かれている。
前6世紀には劇文学が存在していたことが確認されているが、演劇の始まりについて論じた最初の文章はアリストテレスの「詩学」(前330頃)である。アリストテレスによれば、ギリシャ悲劇は酒神ディオニュソスへの熱狂的賛歌・物語であるディテュランボスから発展したという。前6世紀の詩人テスピスがディテュランボスの物語で主人公を演じたのが演劇の始まりだとつたえられている。またアリストテレスは、テスピスがまず最初に台詞(せりふ)をかたり、コロス(合唱隊)がそれにこたえるかたちだったが、その後まもなく、俳優や登場人物の数がふえ、演劇が独立した形式として発展したとのべている。 ギリシャ悲劇は前5世紀に全盛をむかえた。この100年間に1000以上の悲劇が書かれたが、のこっているのは31作品で、そのすべてがアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスのいずれかのものである。劇は厳格な様式をもち、韻文で書かれていて、エペイソディオンといわれる登場人物の会話(1場面に3人以上は登場しない)の場面と、オーイデーといわれる合唱隊の歌唱が交互に展開される。物語はそのほとんどが神話や伝説にその題材をとっているが、既存の物語をそのまま再現するのではなく、悲劇詩人の想像力によって自由に書きかえられている。そこでは世界における人間の運命や、個人の行動が共同体にもたらす不幸などがあつかわれている。舞台でのアクションはかぎられていて、さまざまな出来事・情報は対話や合唱隊の歌唱によって観客につたえられる。 劇はディオニュソスの祭り、つまりアテネだと春におこなわれる大ディオニュシア祭、冬のディオニュシア祭、その直後にひらかれるレナイアとよばれる祭りに上演された。審査によってえらばれた3人の詩人の作品が上演されたが、その3人は悲劇3部作と神々や神話をわらいとばす下品なファルスであるサテュロス劇を提出しなければならなかった。前5世紀半ばには喜劇も上演された。現存の最古の喜劇はアリストファネスのもので、古代の豊饒祈願の儀式から発展したとされる厳格な様式をもつ。同時代の有名人への風刺が主でわいせつな冗談、神々の冒涜(ぼうとく)的なパロディなどを特徴としている。前4世紀ごろには、喜劇が悲劇よりも重要視されるようになった。 ギリシャ文化がアレクサンドロス大王の征服によって広まるにつれ、文学的な喜劇や哲学的な悲劇は重要性をうしない、中喜劇、新喜劇とよばれる人間喜劇が数多く生まれた。新喜劇で残存するものはメナンドロスの「デュスコロス」(前316)ただ1作である。これらの劇は現在テレビで放送されているコメディ物と内容もスタイルも似ている。物語は恋愛、家族の問題、お金などをめぐって展開し、登場人物はけちな父親や意地悪な継母(ままはは)といったお定まりの人物である。 ギリシャ様式の劇場は2世紀にわたって発展をとげたが、廃墟(はいきょ)として現代につたわる石造の野外劇場は後代の遺構である。野外劇場にはオルケストラとよばれる合唱隊のための円形の平土間とプロスケニオンとよばれる俳優のための高台、オルケストラの周囲の斜面につくられた半円形の観客席があったと想定されるが、劇場によってその構造がちがっていたことが現代の研究者によって明らかにされている。観客数は1万5000~2万人。合唱隊より俳優が重要になっていくにつれ、俳優用の高台が大きくなってオルケストラの空間がせまくなっていった。 俳優はすべて男性で日常生活の衣服をやや誇張した衣装を身につけたが、観客に登場人物の特徴をひと目で理解させるために非等身大の仮面をつけた。この時代の巨大な劇場では、近代劇場のように俳優の微妙な身ぶりや顔の表情をみわけることは不可能なため、俳優の身ぶりは大げさで様式的になり、声がもっとも重要視された。その結果、現代の演劇よりもオペラに近いものだったと考えられる。 演劇は宗教的な意味合いをもっていたので、国家が援助し、入場料は無料かわずかなもので、俳優は尊敬をあつめていた。この時代、パントマイムの芸人も登場した。
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