検索
エンカルタ内で検索 : 官僚制

Windows Live® の検索結果

  • 官僚制 - Wikipedia

    官僚制 (かんりょうせい)は、比較的規模の大きい 社会集団 や 組織 における管理・支配のシステムである。一般に官僚制という場合は、「近代官僚制」のことを指す。

  • 官僚制組織

    この組織は、目的と手段の体系からなり、専門的資格にもとづいた管理スタッフによって管理され、形式的・合理的に機能する。 大組織一般に見られるが、政府の装置としての行政官僚制が重要である。

  • 日本の行政機関と官僚制について - [よくわかる政治]All About(1/2)

    つねづね批判される官僚制ですが、官僚制とはどのようなもので、そしてどこからその弊害が生まれるのか、ということについては意外と知られていません。官僚制を語るうえでの基礎理論をご紹介します。

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果

官僚制

官僚制 かんりょうせい Bureaucracy
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

政治学・社会学の概念であるが、日常的にもつかわれる。

II

概念

この言葉は、もともとビューロー(事務机)とクラシー(支配)の合成語で、事務局とか書記局の支配を意味している。人間の共同組織集団がどんな高い理想や目的をかかげても、日常的な実務の担い手の活動なしには実現されない。それゆえ近代社会では、国家や公共団体およびその各種機関のみならず、企業、軍隊、学校、組合、政党、宗教団体など、大規模な組織をともなう社会生活のいたるところに官僚制をみることができる。

したがって、主要な関心がどの領域にあるかとか、これを分析する視角(パースペクティブ)がどうであるかによって、官僚制の定義が多義的になるのをさけることができない。しかし、できるかぎりこの言葉を整合的に理解するために大きくわけて整理すると、次の2つの意味に区分することができる。

第1は政治学的な意味内容を付与された使用法で、イギリスの政治学者H.J.ラスキの定義に代表されるように、「政治の統制力が官僚の手に完全に掌握されていて、それによって、一般市民の自由があやうくされる恐れのある統治形態」をいう。ふつうに「官僚政治」とよばれている事態は、多かれ少なかれこうしたマイナスのイメージをもってかたられる。ここには、特権的社会層としてのエリート官僚が、国民の監視や参加、批判や抗議を拒絶して権威主義的、形式主義的、秘密主義的に上から強制統治する側面、つまり、官僚制につきまとう権力化のイメージが卓越している。

これに対して、第2には、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーによるひじょうに有名な社会学的、組織論的な定義がある。ここでは官僚制は、複雑で大規模な組織の目標を能率的に達成するために、合理的に分業化された極限の管理運営のタイプであることが強調されている。

その特徴は、(1)フォーマルに制定された合理的な規則の支配であり、(2)上命下服のヒエラルヒー(階統)の形をとった権威と権限の系統配分の、つまり、タテ割りの構造をもっている。(3)職員は一定の資格にもとづいて補充・配置され、業務は規格化された文書によっておこなわれ、人間関係は没人格的に、恣意(しい)や私情を排しておこなわれる。(4)責任と権限が職務にあたえられ、各部署ごとに専門的知識と技術が要求される、などである。

ウェーバーによって、官僚制は、これらの特徴をそなえることで、大規模組織の仕事を確実かつ能率的にはたす「生命ある機械」のようなものととらえられた。前のラスキの定義とくらべると、組織運営の近代的合理性の側面に照明をあてることで、官僚制の負のイメージをぬぐいさり、中立的な概念規定をまずいちおう設定したものと解釈してよいであろう。

III

歴史

ここでは、ウェーバーの近代官僚制モデルを承知したうえで、むしろ第1の政治学的視点にたった「行政官僚制」の考察をこころみたい。

近代官僚制の成立をどこにもとめるべきかについては多くの議論があるが、端的にいえば、近代ヨーロッパにおける絶対王政の所産であったといえるであろう。1492年、女王イサベラのスペイン統一による国民国家の形成を端緒にして、16・17世紀をとおしてヨーロッパに「近代国家の官僚制国家イメージ」がほぼ一般的に定着したといわれている。

というのは、絶対王政は強力な軍隊、つまり、中央政府によって任命され責任をおう職業軍人のひきいる常備軍の養成、広範にわたる国内政策・文化政策の展開、重商主義経済の確立をめざして、結局のところ中央集権国家の計画的政策を遂行するために、どうしても主権者のみにしたがう国家官僚制の成長が不可欠になったからである。

ポール・ケネディのような「大国の興亡」史家がかたるように、過去400年の世界史は、この国民国家の覇権抗争と交替の歴史であったし、フランス革命などをへて、ブルジョワ階級が支配する市民社会の国民国家にかわっても、上記の事情は不変であったからである。

後発参入の日本における近代国家の形成も、この西欧モデルの日本的複製の道をたどらざるをえなかった。今日にいたるまでに、比類ない国家官僚制優位の政治システムを構築、維持してきた。明治維新以降、天皇制権力構造の基盤として行政官僚制が確立されたのは、明治20年代とみるのが妥当であろう。

もちろんその原型は明治10年代の太政官制において形成されたといえるが、天皇制官僚機構の整備はほぼ近代軍制の整備と並行してすすみ、藩閥から学閥への移行がみられ、文官任用令・文官試験規則の制定、山県有朋内閣における官吏任用試験の実施、帝国大学を官吏養成機関とする措置において、近代官僚制の確立がはかられたとみなしうるからである。

日本の官僚は、1873年(明治6)設置の内務省を中心に、国民の公僕としてでなく、天皇の特別の使用人としてスタートを切り、「富国強兵」の実現に献身した。「官尊民卑」のこのましくない伝統が生まれ、それが現在まで連綿とつづいている。しかも、第2次世界大戦を前に、一部の官僚は「革新官僚」として登場し、軍部とむすんで総力戦を準備する。

敗戦によって、内務省は戦争の推進に軍部とともに中心的役割をはたしたとして、占領軍によって解体・分割され、また、明治以来、日本の統治システムに重要な役割をはたした官選知事制度もおわった。地方自治体首長は住民の選挙によってえらばれ、憲法の上では地方は国の呪縛(じゅばく)から解放されたはずであった。

ところが、内務官僚の生き残り組は、国の仕事をいやおうなく地方自治体におしつける「機関委任事務」という制度をつくって、地方を統制支配する道を確保した。都道府県の場合、すべての仕事の8割までが機関委任事務となってしまい、極言すれば、知事はえらばれたとたんに住民の代表でなく、国の業務を代行する道具に変身させられてしまうことになった。

この点については、1995年(平成7)に地方分権推進法が制定され、それにもとづいてなされた地方自治法の改正、地方分権一括法が2000年4月までに順次施行され、大きくかわることになった。機関委任事務は廃止されて自治事務と法廷事務の2種となり、国による包括的な指揮監督権も廃止された。また国の権限の地方への移譲、課税自主権の尊重など、地方分権がすすむ枠組みがつくられた。

こうした変化はもっとはやくからなされるべきことであって、つきつめれば、昭和憲法への移行にあたって名実ともに明治憲法(大日本帝国憲法)体制を解体させるために、官僚も法律もすべて一新すべきであった。しかし、戦後期の混乱や、占領軍が日本統治にこれを利用するといった事情があったため、行政官僚制改革は不徹底であった。内務省は解体されたが、そこの官僚の大半は生き残り、市民と権力との関係を規定する行政法とその官治集権的な理論は、戦後もそのまま継続されてしまったのである。

IV

現代日本の官僚

だがともかく、戦後アメリカの指導のもとで「国民に奉仕する公僕」として再生した官僚制は、もはや天皇に任命された官吏でも、時の政権・政治勢力に左右される集団でもなく、公正な試験によって任用される公務員の集団になっている。こうして官僚を資格・能力によって採用し、業績によって昇進させる任用制度は「メリット・システム」とよばれている。

俗にキャリア組といわれるエリート官僚は、「省」という機構に所属してピラミッド型の官僚集団をつくる。そして人事(昇任や解任)に関しては、議会から独立して、内閣・各大臣からも事実上は独立して、自分たちだけの世界をつくってきた。

もちろん議院内閣制下の行政官僚であるから公式の任命権は大臣にある。しかしそれは建て前で、現実の人事は省内自決で完結している。とくに日本の場合、各省庁のトップにすわる大臣はほとんどが国会議員=政治家であり、多くは与党の党内派閥から指名されてでてくる素人である。省内の上層部、中堅実力者から「ご進講」をうけなければ何事も知りえない。大臣が素人考えで省内の意向を無視して独断専行すれば、多数の官僚たちがうごかなくなる。

一般に日本では内閣や大臣の寿命はきわめて短く、官僚たちは終生そこにいて「わが省」をきりまわしている。こうした事情のもとでは、大臣が気にいらない局長などをやめさせたり更迭したりすることは不可能に近い。こうして官僚たちは、自分たちの人事を自分たちだけで処理できる「内向き恣意集団」となる。国民に奉仕する公僕どころか、局あって省なく、省あって国なしの分立・自立集団となる。メリット・システムと終身雇用制と年功序列制をくみあわせていることの強みが100パーセント発揮され、無類の官僚王国日本をつくりあげている。

1990年代以降、こうした体制への反省がすすみ、中央省庁の再編をはじめ、行政機構の縮小や特殊法人の整理などの行政改革、また規制緩和や上述した地方分権が急速にすすみ、官僚の位置付けも変化しつつある。この動きが官僚王国といわれてきたこれまでの体制をどのようにかえていくか注目される。

なお、アメリカのような大統領制のもとでは、官僚制はむしろ「スポイルズ・システム」になる。新しい大統領がでてくると、たちまち4000~5000人におよぶ高級官僚がいれかえられるという。もともと官僚の前身は、王の家臣として王家の統治業務を分担する人々であったから、その任命は王の意のままであったわけである。王にかわって公選の大統領が任命する行政府なら、この方式(スポイルズ・システム)がとられるのは自然で、官僚はその政権の手足として「政治の下におかれ、政治のコントロールをうける」ことになる。

項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2009 Microsoft