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リベラリズムLiberalismの訳語で、個人の自由を尊重し、権力による自由の制限をおさえようとする近代ヨーロッパの思想または態度をいう。近代自由主義の思想は宗教・政治・経済の3つの次元から構成されている。 宗教の次元では、16世紀のルターの宗教改革によって、信教の自由という原理が確立された。それは信仰がおこなわれる個人の内面に世俗の国家権力は介入できないとするものであった。政治の次元では、17世紀イギリスの名誉革命によって、立憲主義の原理が確立された。それは国王の恣意(しい)的な権力行使に憲法上の制約を課そうとするものであった。最後に経済の次元では、18世紀以降の資本主義の発達によって、自由競争の原理が確立された。それは封建的なギルドや重商主義的な経済統制に反対して、経済活動への自由な参加を促進しようとするものであった。このように近代自由主義の特徴は、「国家からの自由」という消極的な自由論を展開するところにある。
19世紀のヨーロッパは、これら3つの原理をうけて、古典的自由主義とよばれる政治社会のモデルを構成した。とりわけイギリスでは、アダム・スミスの「国富論」の影響のもと、最小国家の理念が形成された。それによれば国家の活動範囲は国防や司法に限定され、不況や失業といった経済問題は、市場の「見えざる手」によって自動的に解決されると想定されていた。この国家モデルはのちにドイツの社会主義者ラサールによって「夜警国家」と批判されることになる。 ところで、ジョン・ロックの政治理論で主張されていたように、古典的自由主義は行政府よりも立法府に優先権をあたえていた。この国家モデルの主体は資本家階層のブルジョワジーたちで、政治参加は「教養と財産」を所有するブルジョワジーに限定されていた。こうした制限選挙によって構成される議会は、尊敬される家柄の出身者たちの集まりで、それゆえ政治の中心として安定的な機能をはたすことができたのである。こうした理由から古典的自由主義の政治社会は「立法国家」とよばれている。
自由主義の思想は自由と平等をとなえるものであったが、その適用範囲は19世紀の半ばまで少数のブルジョワジーに限定されていた。そのため、古典的自由主義は依然として貴族主義的な性格をのこしていた。多数派である無産者階級の政治参加は、彼らへの権力集中を容易にし、少数派である有産者階級(ブルジョワジー)の自由の抑圧につながると想定されていた。民主主義は「多数者の専制」であり、それゆえ自由主義とは対立するものと想定されていたのである。 しかし資本主義の急激な発展は、失業や貧困といった社会問題の拡大をもたらし、もはや市場の「見えざる手」や個人の自助努力では解決できないほどのものとなった。とりわけ失業や貧困の問題は無産者階級に集中していたので、彼らの政治参加をもとめる声はいっそう大きなものとなった。こうして「国家からの自由」を主張してきた古典的自由主義は、無産者階級の「国家への自由」の要求によって修正を余儀なくされたのである。
自由主義を社会正義の問題にむすびつけたのは、19世紀後半のイギリスの新理想主義者トマス・ヒル・グリーンであった。彼は古典的自由主義の利己的な人間観を否定して、人間を利他的な共同体的存在として位置づけた。それは従来の自己責任の原則だけでなく、社会的責任の必要性も主張するものであった。貧困や失業は個人の責任に帰せられるべき問題ではない。それは社会全体で解決するべき問題であり、そのためには国家による個人生活への介入も正当化される。 しかし、こうしたグリーンの思想は自由主義を否定するものではない。国家の積極的な介入は個人の自由の制限ではなく、むしろ個人の自由を促進するものであると想定されている。なぜなら、貧困や失業こそが個人の自由な活動をさまたげているのであって、それを国家が除去することは個人の自由を保証することにつながるからである。
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