Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 ページ 2 / 5
項目構成
植民地時代のアメリカでは、初期の定住地は水路が利用できるところにかぎられ、旅行は船ときまっていた。やがて内陸部にも道路ができはじめ、独立戦争(1775~1783)のころまでには、大西洋の沿岸に初期の道路網がめばえていた。西部に通じる道路は、アパラチア山脈の西にあるアレゲニー山脈をこえて、いくつかはできていたが、きわめて原始的なものであった。そのひとつのウィルダーネス・ロードは、1775年にアメリカ人開拓者のダニエル・ブーンが発見したもので、テネシー州のカンバーランド峡谷をぬけてケンタッキー州まで通じていたが、これはまもなく山岳地帯をこえる幹線道路となった。このように植民地時代の道路は、まさに難所をきりひらいて建設された。荒野の小道は多くの人がふみならすうちに、だんだんと道筋ができていった。たとえばオレゴン街道や、サンタフェ街道や、オーバーランド街道など、西部にある大きな街道はこのようにしてできたものである。
東部の諸州では、ひろい地域にわたって道路事情を改善するための施策として、改修費の財源確保のための有料道路の建設が独立戦争の直後にはじまった。一例として、バージニア州のアレクサンドリアと、その56km西北にあるリトルリバーとの間に建設され、ほぼ100年間運営された有料道路がある。はじめ有料道路は、すべて国や地方自治体により建設、運営されていたが、のちに国の許可のもとに私企業が建設し運営した。しかし多くの私企業は、長期にわたり収益をえることができなかったので、1850年までに、ほとんどの有料道路の運営はふたたび郡当局に移管された。 アメリカ議会は、1803年、道路網の拡大をして立法化した。この法律は、オハイオ州の土地の売却による歳入の一部を、ポトマック川の上流から西のオハイオ川までの国道の建設費にあてることを規定している。法律はのちに改正されて適用範囲をひろげ、ミズーリ州のセントルイスにあるミシシッピ川までをふくむとされた。21年ごろに国道は、ウェストバージニア州のウィーリングまで完成した。この国道は、アパラチア山脈から西の地域への移住を促進した。しかしながら、1830~40年代にかけて鉄道の重要性が高くなると、国道の建設費にわりあてる予算は減少し、48年には国道の建設はセントルイスまであと120kmをのこす、イリノイ州のバンダリアでうちきられた。 19世紀の後半の鉄道の発展期には、この影響をうけて幹線道路の開発は停滞した。そのいっぽう、1850年ごろには、木製の厚板をしいた道路が関心をよび、ニューヨーク州など東北諸州では3200kmもの厚板の道路がつくられた。厚板の道路は板がくさりはじめると建設されなくなった。これと時を同じくして、煉瓦やアスファルトが都市の街路舗装に導入された。93年にはオハイオ州のベルフォンテンにある街路が、すべて舗装されている。
1880年代に自転車が普及しはじめ、90年代に自動車がアメリカに導入されると、質のよい幹線道路をもとめる声が各方面から高まった。この中で画期的なものとしては、91年にニュージャージー州が幹線道路局を創設し、地域の道路建設に対する行政指導にあたらせたことである。翌年にマサチューセッツ州もこの例にならった。1917年までには、アメリカの全部の州でこれと同じ方式を採用するにいたった。 公道に関するアメリカ初の国勢調査は、1904年に連邦公道局によっておこなわれた。これによれば、合衆国では約320万kmもの未舗装道路があり、舗装道路は約24万8000kmであった。同じ年に自動車の交通量が急激に増加しはじめ、次の20年間に、昔の道路舗装が不完全であることが露呈した。これをおぎなうため、初めはマカダム工法の表面に、のちには浸透性の硬化材として、タールや油類がつかわれた(→ コールタール)。 アスファルト系の舗装は、おもに都市でつかわれている。この工法は下に細かい砕石をしきこんで、アスファルト系の舗装材をぬりながら、上から重いローラーでおしかためるもので、浸透性の硬化材をつかったマカダム舗装よりも耐久性がある。浸透性の硬化材をつかったマカダム工法の地方の幹線道路は、第1次世界大戦中、トラックの交通が急激に増加して損傷した。このトラック交通の増大が、幹線道路の工法改良を促進した。地下地盤に排水処理がほどこされ、基礎工法はしっかりしたものとなり、道床の下にコンクリートをうち、表面もさらにコンクリートで仕上げとするか、アスファルト系の舗装仕上げとなった。
現代の土木工学では、道路建設の検討事項として重要な問題点がいくつかある。土地の傾斜、舗装が負担すべき荷重、予測される交通量、地下地盤の性質、舗装の構造などの問題である。 舗装それ自体は、曲げに対する許容度の低い硬質の舗装としてもよいし、柔軟な舗装としてもよい。柔軟な舗装では、粗骨材や、砕石、小石、砂などの細骨材と、アスファルトや、廃油、タール製品からとったアスファルト系の舗装材の混合物をつかう。この混合物は、丈夫であるだけでなく、大きな衝撃をも吸収して、はげしい交通量にたえるだけの可塑性もある。硬い舗装は、セメントと粗骨材と細骨材の混合物でつくる。舗装の厚さは、道路の交通量により15~45cmまで変化し、ひび割れを防止するために鉄筋で補強し、さらに砂や砕石を舗装の下にしいて耐力を補強する。 現代の高速道路は、平原や砂漠では在来の道路からはなれて、各都市を最短距離でむすぶようにつくられる。市街地はさけるか、高架式の高速道路やトンネルなどでとおりぬける。車の流れを分離し、進入路を規制することで、高速道路の安全性を高くし、対向車線をはしってくる車のためには、中央分離帯をもうけている。また、自動車が高速道路に出入りする部分を、高速道路が主要道路と交差するインターチェンジだけにしている。1本の道路が別の道路の上を橋でこえ、斜路で2本の道路をつないで、高速道路の流れを邪魔しないで、自動車が接続道路にはいれるようになっている。 現代の高速道路の特徴としては、ほかにもいろいろある。夜間運転のための照明が完備していること、緊急停車のためのひろい専用パーキング・スペースがとられていること、速度変更用の車線があること、追い越し用の車線があること、バス専用車線があること、また反射式の標識、道路面の交通指示、信号機があることなどがあげられる。
日本は、北から南へ弓なりにのびた島国であるため、道の利用は昔から活発であった。自然の道としては尾根伝いの山道、けもの道、川の流れにそう川べりの道、海にそう海岸道などが主であり、その変化は縄文・弥生・古墳時代をへて、律令(りつりょう)時代にいたって、国家的に発展した。
|
© 2009 Microsoft
![]() ![]() |