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  • 表現主義 - Wikipedia

    表現主義 (ひょうげんしゅぎ)または 表現派 (ひょうげんは)とは、様々な 芸術 分野( 絵画 、 文学 、 映像 、 建築 など)において、一般に、 感情 を作品中に反映させ、現実をねじまげて表現する傾向のことを指す。また、この語は 感情 の中でも特に ...

  • ドイツ表現主義 - Wikipedia

    ドイツ表現主義 (Expressionism) ドレスデン(ドイツ)で1905年に前衛絵画グループ・ ブリュッケ が生まれ、ドイツ表現主義と言われる運動の起点になった(表現主義の項目を参照のこと)。表現主義(Expressionism)は 印象主義 (Impressionism)に対する言葉で、不安 ...

  • ドイツ表現主義と日本

    ドイツ表現主義と日本 ―大正期の動向を中心に― 酒井府 A5判 336頁 定価 6825円 (本体 6500円+税) isbn978-4-657-03104-4

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表現主義

表現主義 ひょうげんしゅぎ Expressionismus
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

美術、文学、演劇、音楽において、現実や自然を客観的に描写するのではなく、主観的な感じ方や感情を表現することに重きをおく運動、あるいはその傾向のこと。ルネサンス美術以降ヨーロッパ、とくにフランスとドイツの美術学校に浸透していたアカデミックな規範に対する反作用として、19世紀末~20世紀初めに運動がおこった。

表現主義では、芸術家は自己の感情体験を必然的な形でしめそうとする。芸術家が関心をしめすのは、あるがままの現実ではなく、内的な本質とそれによってひきおこされる感情である。そのために、主題はつねに戯画化され、誇張され、歪曲(わいきょく)され、あるいは感情体験をもっとも効果的で凝縮された形で強調するために、順序をいれかえたりする。

II

絵画と彫刻

「表現主義」という用語が絵画にはじめて適用されたのは1911年であったが、表現主義の本質は、ほとんどの国や時代の美術にみいだされるものである。たとえば中国や日本の美術のなかには、物質的な外見よりも主題の本質を強調するものがある。また、ロマネスクやゴシックの大聖堂で仕事をした中世ヨーロッパの画家や彫刻家は、主題の精神的な表現性を強めるために作品を誇張している。

歪(ゆが)みによって強烈な宗教感情を表現することは、16世紀のスペインの画家グレコやドイツの画家グリューネワルトなどもおこなった。19世紀末から20世紀初めにかけては、オランダの画家ゴッホやフランスの芸術家ゴーギャン、ノルウェーの画家ムンクらが、はげしい感情を表現するために強烈な色彩をつかい、線を誇張したりした。

20世紀でもっとも重要な表現主義者には、ドイツ人のグループがあげられる。キルヒナー、ヘッケル、シュミット・ロットルフといった画家たちは、1905年、ドレスデンで「ブリュッケ(橋)」というグループを結成した。06年にはノルデとペヒシュタイン、10年にはミュラーがくわわり、12年、「ブラウエ・ライター(青騎士)」と自称するミュンヘンのグループといっしょに、絵画作品を展示する。後者のグループには、マルクやマッケといったドイツ人画家、スイスの芸術家クレー、ロシア人の画家カンディンスキーらがふくまれていた。

ドイツにおけるこの時期の表現主義は、感情を意識的に表現しようとすることと、表現内容に対する高揚した感覚が特徴である。「ブリュッケ」は1913年までには解消し、第1次世界大戦(1914~18)により活動をほとんど停止させた。一方フランスでは「フォービスム」が、フランス人画家ブラックとスペイン人芸術家ピカソによってすすんでいたが、それは表現主義から影響をうけたものであった。

ドイツ表現主義の次の段階「新即物主義」は、第1次世界大戦後の幻滅から生まれた。これはディックスとグロッスが提唱したもので、社会的真実への関心と皮肉で辛らつな態度を特徴とした。やがて表現主義は国際的な運動となり、ドイツ人芸術家たちの影響はさまざまな形であらわれるようになった。たとえば、オーストリアの画家ココシュカやフランスの芸術家ルオー、リトアニア生まれのフランスの画家スーティン、ブルガリア出身のフランスの画家パスキンやアメリカ人画家マックス・ウェーバーらの作品に、その影響をみることができる。

第2次世界大戦終了後にアメリカにあらわれたのが、「抽象表現主義」である。それを実践した画家には、ロスコデ・クーニングフランツ・クラインポロックなどがいる。彼らは根本的な感情をあざやかな色彩と大胆な形態、ドリッピング技法などによってつたえようとしたが、そこにはいかなる主題もみとめられない。

いっぽう、表現主義彫刻のルーツは、19世紀のフランスの彫刻家ロダンの作品にもとめられる。彼は再現的な形の中にも主題の内的情況を表現し、助手のブールデルやクロアチアの彫刻家メシュトロビチ、イギリスの彫刻家エプスタイン、ドイツ人のバルラハらに強烈な影響をあたえた。彼らの人物像は、さまざまな形の歪み、つまり誇張や引き延ばし、量塊化などがみとめられる。

現代美術と現代建築

III

文学・演劇・映画

文学、とくに小説と戯曲における表現主義の目的は、美術とほぼ同じであった。つまり、登場人物も場面も、感情的ショックをひきおこすために様式化され、歪曲された方法でしめされる。「ブラウエ・ライター」のメンバーだったオーストリア人画家クビーンは、初期の表現主義小説「裏面」を書き、プラハのユダヤ人小説家カフカや他の作家たちに深い影響をあたえた。

初期の表現主義の劇作家にはスウェーデンのストリンドベリ、ドイツのウェーデキントがいる。彼らは次の世代の劇作家たちに国際的な規模で影響をおよぼしたが、この中にはドイツ人のカイザートラー、チェコのチャペック、アメリカ人のオニール、ライスらがいる。

こうした表現主義の戯曲は、演出や舞台装置にも新しいアプローチをもたらした。その目的は、観客に強い感情的インパクトをあたえるように、すべてが統一されたステージをつくりだすことにあった。そうしたすぐれた演出家には、ドイツ人のラインハルトピスカートル、ロシア人のメイエルホリドがいる。いっぽう、イギリスのクレーグやアメリカのロバート・ジョーンズといった舞台美術家は、表現主義の画家たちと同じようなテクニックをつかって、戯曲にふさわしい視覚的な刺激をあたえようとした。

表現主義絵画と演劇は、ともに映画にも影響をおよぼした。そのドイツ映画の作例として、悪夢のような遠近法と仮面のようなメーキャップが特徴のロベルト・ウィーネ監督「カリガリ博士」(1919)と、みごとな照明とカメラ・アングルでほろにがい物語をうつしだしたF.W.ムルナウ監督「最後の人」(1924)があげられる。

IV

音楽

音楽における表現主義は両大戦間に高まりをみせたが、それは20世紀の人間生活にひめられた不安や内なる恐怖、皮肉などを、複雑かつ巧妙に構成された作品をとおして、感情的にはげしく表現するものであった。伝統的なテクニックはゆがめられ、複雑で不協和なハーモニーを力強くひびかせるために、「心地よい」ハーモニーも拒否された。様式はしばしば無調になるか、伝統的な調性がゆがめられた。ポリフォニーもかなり繁雑になり、伝統的な意味でのメロディがみとめにくい場合もあった。

表現主義音楽のルーツは、ドイツのワーグナーのような後期ロマン派の作曲家や、オーストリアの作曲家マーラーに代表されるロマン派以後の作品にみとめられる。たとえば、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの初期の2つのオペラ「サロメ」(1905)と「エレクトラ」(1909)、オーストリアの作曲家シェーンベルクの「期待」(1909)、「月に憑かれたピエロ」(1912)、「幸福な手」(1913)、オーストリアの作曲家ベルクのオペラ「ウォツェック」(1921)と「ルル」(1935、完全初演は1979)などがあげられる。また、表現主義的要素をもつ作曲家には、ドイツのヒンデミット、ハンガリーのバルトーク、ロシアのプロコフィエフがいる。

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