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都市国家ローマおよびローマ帝国の法。とくに古典期の私法をさす。それはローマ人の最大の文化遺産であり現代西欧文化の支柱のひとつである。
ローマ最初の法典としては、平民と貴族との階級闘争の結果、前5世紀半ばに民会で制定された十二表法の存在が知られている。当時、法知識は貴族階級に属する神官によって独占されていたが、この法典はその独占の一角をやぶる意味をもっていた。内容には、当時のローマ社会を反映して、(1)慣習法を基本とする、(2)土地・農事に関する規定の比重が大きい、(3)宗教的・呪術的性格が濃厚である、(4)儀式や形式の厳格さが顕著である、などの古代法に共通する特色がある。
前3世紀ごろからローマが地中海にその勢力をひろげ世界国家化するにつれて、外国人にも平等に適用される万民法が生成され、それがローマ市民のみに適用される従来からの市民法にも影響をあたえ、国際的な商取引の必要に合致した、動的な私法が発展することとなった。 そのようなローマ法を実質的につくりあげた主要な担い手は、神官にかわり法知識を提供する専門家としてあらわれた法学者である。法学者の活動は当時の訴訟手続きと関連していた。たとえば民事訴訟手続きのひとつである方式書訴訟は、裁判を指揮・管理する法務官が事件の法律問題を判断して方式書を作成する手続き、その方式書にしたがって審判人が事実認定をおこない判決をくだす手続き、という2つの手続きにわかれていた。しかし、法務官も審判人も法律専門家ではなく、法務官は法律間題について法学者の助言をうけることがふつうだった。また法務官は毎年その任期中、裁判基準となる告示を発布したが、その際も法学者が助言した。このように、法学者が具体的訴訟に間接的に関与することを通じてつくられる一種の判例法(名誉法)として、ローマ法の主要な部分は発展していった。 政治的に安定した元首制の時代(前27~後284年)には、ローマ法がもっとも隆盛をきわめた時代(古典期)をむかえた。とくにこの時期、すぐれた法学者は皇帝の権威を背景にして解答する権利がみとめられ、学説が一定の条件のもとで法的拘束力をもつ制度が確立した。しかし他面、法学者の官僚化、勅法による皇帝の立法権の掌握などの事態も進行していった。
専制君主政期以降ローマ法は衰退していく。しかし東ローマ帝国の威勢を回復したユスティニアヌス1世(在位527~565年)は、復古主義的見地からトリボニアヌスらの協力のもとにローマ法の集大成ともいうべき法典を完成させた(530~555年)。学説彙纂(いさん)・法学提要・勅法彙纂・新勅法よりなる、のちに市民法大全と名づけられた法典である(ローマ法大全、ユスティニアヌス法典ともいう)。後世にローマ法がつたえられたのはこの法典によるところが大きい。
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