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トルコ北西部に位置し、ヨーロッパとアジアをわけるボスポラス海峡にまたがっている。トルコ最大の都市で、広大な農業地域であるイスタンブール県の県都。旧名コンスタンティノープル。イスタンブール県は、綿花、果物、オリーブ油、絹、タバコを生産し、イスタンブールはその最大の港湾都市で、商業と金融業の中心地である。産業としては、造船業、製陶業のほか、セメント、紙巻きタバコ、食品、ガラス、革製品の製造がある。イスタンブールは鉄道の重要な拠点で、ヨーロッパ、アジア双方へむかう国際線の起点であり終点でもある。人口は1117万4257人(2007年推計)。 324年に、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、ビザンティウムを新首都にきめ、建設に着手、のちにコンスタンティノープルと名づけた。ローマと同じように、7つの丘の上にたてられた。413年に皇帝テオドシウス2世が街の周りを壁でかこったが、今ではわずかな部分しかのこっていない。街でもっとも古い地域は、金角湾の西と南に広がる「スタンブル」として知られる旧市街で、かつてのビザンティウムにあたり、トプカプ宮殿をはじめスルタン・アフメト・ジャーミー(ブルー・モスク)やスレイマニエ・ジャーミーなどの歴史的建造物が集中。金角湾の北側の新市街とはガラタ橋やアタチュルク橋などでむすばれている。アジア側のユスキュダルには、クリミア戦争の際にイギリスの看護婦ナイチンゲールがはたらいた病院がある。
イスタンブールには、由緒ある歴史的建造物が数多くのこっている。6世紀にユスティニアヌス1世によってたてられた教会で、15世紀にモスクにされ、今では博物館になっているハギア・ソフィアもそのひとつである。ハギア・イレネ、またモザイクや壁画のあるカーリエ・ジャーミーや、メフメト2世、スレイマン1世の時代の、オスマン帝国時代の建造物もたくさんある。それらの特徴は、ハギア・ソフィアのようなビザンティン様式を反映しながらも、外部に細長いミナレット(尖塔:せんとう)をたて、内部の壁にみごとな装飾をほどこすなどして、トルコ的な要素もとりいれている(→ ビザンティン美術)。19世紀に王宮はボスポラス海峡沿いのドルマバフチェ宮殿にうつされ、ケマル・アタチュルク以来トルコの大統領がしばしばそこを利用してきた。 もっとも古い高等教育機関は、イスタンブール大学(1453年創立)である。そのほかにも、イスタンブール工科大学(1773)、ボスポラス大学(1863)などがある。イスタンブールは、東方正教会の総主教の本拠地であり、また、アルメニア教会の総主教の管轄区でもある。市内にはおよそ200ものキリスト教会がある。 美術館ではオスマン帝国のスルタン宮殿を美術館にしたトプカプ宮殿博物館がイスラム美術と中国陶磁器の膨大なコレクションをほこり、イスタンブール考古学博物館はギリシャ・ローマやビザンティンの美術品などをおさめている。
イスタンブールは、まずビザンティン帝国の、そしてのちにオスマン帝国の首都として、歴史的に重要な都市である。また、世界でもっとも多く侵略された都市のひとつとしても知られる。 トルコが支配する前の673~678年はアラブ人に、813年と913年はブルガリア人に、そして1203年と04年の2回にわたって第4回十字軍に占領された。1453年にコンスタンティノープルがトルコ人の手におちると、街はオスマン帝国の首都になり、1923年に新しく建国されたトルコ共和国がアンカラを首都にするまでつづいた。18~23年には、イギリス、フランス、イタリアにも占領されている。30年に正式にイスタンブールと改称された。 なお、2003年11月15日、市の中心部にあるシナゴーグで連続自爆テロがおき、また20日には、イギリス系銀行HSBCトルコ本部前とイギリス総領事館付近でも同じような自爆テロが発生した。両事件の犠牲者は計50人をこえる。これらにはアルカーイダ系組織の犯行声明が出ており、実行犯はいずれもトルコ人と目されている。
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