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仏教

仏教 ぶっきょう
百科事典項目
項目構成
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中国仏教

中国へ仏教がつたわったのは、紀元前後のこととされている。伝来当初の仏教は呪術や神仙道と混同されていたが、3~4世紀にはいってインド僧が中国にくるにおよび、老荘思想(老子荘子)の「無」をもって仏教の「空」を解する「格義仏教」がおこった。5世紀初頭に鳩摩羅什が長安にはいって数多くの経典を翻訳すると、中国語だけで仏教を理解できるようになり、隋、唐時代には中国仏教が独立するとともに、その黄金時代をきずいた。しかし、いっぽうでは、儒教の伝統的倫理である「孝」と出家の思想が即応しないということや、仏教修行者は現世の王をうやまうことはないとする説により仏教は反発をうけた。

中国仏教の黄金期には、三論宗天台宗華厳宗法相宗律宗、密教、禅宗浄土宗などの各宗派が成立した。なかでも特徴的なのは、華厳宗と禅宗の展開である。華厳宗の中心的仏である毘盧舎那仏は密教の大日如来と同じサンスクリット名をもっているが、これは仏教の展開過程における華厳から密教への移り変わりを象徴的にしめしているといえよう。

禅宗はインドの仏教僧の達磨によってつたえられたとされるが、まったく中国的発展をとげた。ことに五祖弘忍(こうにん)のもとにでた六祖慧能は独特の南宗禅を創始し、日本の禅宗にも深い影響をあたえた。ことに、禅宗で大切にされる農耕作業や掃除などの肉体労働「作務(さむ)」は、僧侶といえども働くことにおいては民衆とかわらないとの思想を生んだ。これにより禅宗は僧俗の区別を超越した教義に達し、唐代から宋代にかけて深く民衆に浸透した。

しかし、宋代以後は朱子学の興起による儒教の復興や、仏教自体が新しい思想を展開できなかったことなどから、徐々にその力をうしなっていった。

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日本仏教

日本にもかなり古い時期から朝鮮半島をとおして仏教がつたえられていたと考えられる。しかし、公式の伝来は538年(宣化3)もしくは552年(欽明13)に、百済の聖明王が仏像と経巻を朝廷に献上したのがはじめとつたえられる。仏教の受容をめぐっては、受容派の蘇我氏と拒否派の物部氏の間で深刻な抗争がくりかえされたが、聖徳太子によって受容が決定し、四天王寺法隆寺などの大寺院が建立された。聖徳太子は自らも仏教に帰依(きえ)し、経典の注釈書「三経義疏(ぎしょ)」をあらわすなど、日本における仏教興隆にはたした役割は大きかった。

奈良時代にはいると、仏教は鎮護国家のための性格が強まった。聖武天皇は東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺として、全国に国分寺、国分尼寺を建立させ、東大寺には大仏を安置して仏法による国家の安泰と繁栄をねがった。教理面では、中国で成立した6つの宗派が日本につたえられ、学問宗として南都六宗が成立した。また行基道昭など、国家による仏教とは別に一般民衆の中にはいって仏教をひろめる者もあった。

平安初期には最澄空海が入唐して、それぞれ天台宗真言宗をつたえ、延暦寺を比叡山(ひえいざん)に、金剛峰寺を高野山に建立し、以後長く日本仏教に影響をあたえつづけた。この時代に仏教はほぼ日本全国にひろまり、素質や能力に関係なくすべての人間が成仏できるとする一乗の立場による仏教が説かれて、奈良仏教よりも民衆にうけいれられやすいものとなった。

平安末期になると、相つぐ自然災害から社会不安が増大し、民衆の間に末法思想が流行した。そして、源平争乱期から鎌倉初期にかけて急速に浄土信仰が高まり、空也源信良忍らの活躍によって拡大していった。

鎌倉時代には、浄土や禅の門からすぐれた人物が次々とでて、いわゆる鎌倉仏教の諸宗派をひらいて民衆と密接にむすびついた仏教を確立した。その先駆となったのが法然で、源信の「往生要集」に触発されて浄土宗をひらいた。ついで、法然の門からでた親鸞が、法然の専修(せんじゅ)念仏をさらに徹底させた称名(しょうみょう)念仏を説き、浄土真宗の開祖となった。禅宗は、栄西によって臨済宗が、弟子の明全とともに入宋した道元によって曹洞宗がつたえられた。また平安時代の空也の系統をつぐ一遍は老若貴賤の別なく念仏をすすめ、時宗の開祖となった。これらに対し、諸宗派の誤りを強調して「法華経」のみに帰すべきことを説き、現世における救済をめざしたのが日蓮宗の開祖日蓮であった。

鎌倉仏教の師たちは、いずれも短い言葉の中に教理の要点を凝縮し、平易な仮名まじり文で教説を発表したために、庶民の間に急速に浸透し、仏教はまったく日本的展開をしめすことになった。現在でも、親鸞、道元などの著書は、日本におけるもっとも深い哲学的思索の書としてよみつがれている。

室町時代にはいると、鎌倉時代に成立した各宗派が日本各地にひろまり、全国的規模に拡大した。とくに禅宗は中国からの禅僧の渡来が相つぎ、京都と鎌倉に寺格をさだめた五山・十刹(じっせつ)の制度がもうけられるなど、武家政権との癒着によって盛んになった。しかし、五山文学をはじめとして茶道、水墨画などといった文化面ではみるべきものがあったが教理面での新しい展開はなかった。織豊期には、織田信長による比叡山焼き討ちのように、権力の側からの宗教支配の傾向が強かった。

江戸時代にはいると、徳川家康は一向一揆にくるしんだ経験などから慎重に宗教対策を考え、政治の思想的基盤としては儒教をもちい、本願寺を東西に分割するなど、仏教勢力を牽制(けんせい)しながら宗教を支配しようとした。しかし島原の乱後、キリシタンに対するきびしい警戒が必要となり、檀家制度によって庶民の戸籍を寺院にあずけさせ、本末制度によって寺院間の管理をきびしくした。このために寺院は経済的には安定したが、仏教そのものの活力は徐々にうしなわれることになった。明治維新では、仏教は廃仏毀釈の対象となり、壊滅的打撃をうけたが、信教の自由が確保されるにおよび、復活して今日におよんでいる。

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南方仏教

南方仏教は一般的に「小乗仏教」とよばれることもあるが、「小乗」という言葉は大乗仏教側からの蔑称(べっしょう)で、自称としては、「上座部仏教」「長老仏教」などとよばれている。

根本聖典としては経・律・論の三蔵が完備した、パーリ語の「大蔵経」があり、各国の文字で表記されているためにことなっているようにみえるが、すべての国に共通である。大乗仏教とちがって、在家信者と僧の間には厳密な区別が存在する。さらに、王政の国家では国王を最高の信者とし、国教もしくは国教に準じる地位をえている。南方仏教の僧は、227条にもおよぶ厳格な戒律の中で生活している。

スリランカ(セイロン)には、前3世紀に仏教が伝来したとつたえられている。伝承によれば、アショーカ王の王子マヒンダが上座部の仏教をつたえ、王朝の保護と民衆の帰依をうけて全島にひろまった。5世紀にはインドから仏音(ブッダゴーサ)が来島して、三蔵すべての注釈を完成させ、仏教は非常にさかえた。

ミャンマー(ビルマ)には、スリランカ仏教がさかえていた当時、仏教はベンガル湾を北上してつたえられた。11世紀になるとパガン朝がビルマを統一し、仏教も最盛期をむかえた。そのために当時仏教がおとろえていたスリランカにかえって逆輸出する勢いだった。その後、スリランカとビルマの仏教は衰退と繁栄をくりかえした。ただし、現在の両国の仏教は18世紀にタイから再輸入されたものである。

タイは、12世紀初頭に独立国家を形成した当初から、上座部系の仏教が盛んだった。仏教以外の文化もインドからうけいれ、現在の東南アジア諸国の中でもっとも有力な仏教国となっている。

カンボジアでは、ヒンドゥー教と仏教の混交した宗教がさかえていて、9~12世紀にアンコールのトム(都城)とワット(寺院)が建設された(アンコール朝)。以後、隣国のラオスとともに上座部仏教がさかえた。

インドネシアには、スマトラ、ジャワなどの島で上座部仏教がさかえていた事実が、義浄旅行記などで明らかにされている。ジャワ島には8~9世紀に建設されたボロブドゥールの遺跡がのこるが、これはきわめて正確な曼荼羅の規則にしたがって建設されている。現在はイスラム教徒が圧倒的に多いが、中国系のインドネシア人の中には、新しい仏教に帰依しようとする動きも盛んであるという。

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その他の地域の仏教

朝鮮半島には、仏教は4~5世紀にかけてつたえられた。当時朝鮮半島を支配していた高句麗百済新羅の3国では、中国に留学僧をおくるなど積極的に仏教を受容し、仏教はさかえた。百済の聖明王は、6世紀半ばに日本に仏教をつたえたことで知られる。7世紀の新羅による半島統一以後、仏教はますますさかえ、華厳宗や法相宗のほか、浄土教や密教もおこなわれた。さらに8世紀になって禅宗が中国からつたえられると、またたく間にひろがった。

10~14世紀にかけての高麗による半島支配の時期にも、仏教は国家的規模で信仰され、繁栄した。高麗の太祖(李成桂)はあつく仏教を信仰し、寺院の建立、制度の整備などを実行して仏教を保護した。しかし、つづいて約500年間にわたって朝鮮半島をおさめた朝鮮王朝は儒教の朱子学を国教とし、廃仏運動をおこなったために、朝鮮半島の仏教は衰退していった。

東南アジアの中でもベトナムは中国との関係が深く、仏教も上座部仏教(南方仏教)ではなく、中国仏教の影響をうけた大乗仏教が信仰されている。

ラマ教ともよばれるチベット仏教は、7世紀半ばにインドからつたわった大乗仏教が土着宗教であるボン教などと混交してできたものである。

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