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ソビエト連邦ソビエト連邦 ソビエトれんぽう Union of Soviet Socialist Republics
百科事典項目
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ゴルバチョフは「新思考」外交をすすめ、1988年にはアフガニスタンからソ連軍を撤退させた。また87年に訪米し、レーガン大統領と中距離核戦力全廃条約に調印した。さらに89年にはブッシュ米大統領とマルタ会談をおこない、68年のチェコスロバキア介入が誤りだったことをみとめ、東西冷戦の終結を世界にしめした。同年ローマも訪問し、教皇ヨハネ・パウロ2世と会談して、カトリック教会とソ連政権との関係を正常化した。
1989年以降、東欧の社会主義諸国では、次々と共産党政権が崩壊していった。ベルリンの壁を開放した東ドイツは、西ドイツとの統一条約に調印した。東欧諸国のこうした動きはソ連の民主化運動を拡大させ、ソ連共産党の権威は低下した。90年、ゴルバチョフは共産党の一党支配の根拠となっていた憲法を改正し、大統領制を導入してみずからソ連邦大統領に就任した。いっぽうその年に、リトアニア共和国が主権宣言をおこなったのを皮切りに、バルト3国は独立を宣言、その後各地で民族紛争が頻発するようになった。 共産党支配の弱体化と連邦制の動揺に対して1991年8月、KGB(国家保安委員会)、内務省、国防省などをにぎっていた保守派グループは、ゴルバチョフを監禁して非常事態を宣言するクーデタを決行した。しかし、ロシア共和国大統領エリツィンにひきいられた改革派はこのクーデタを粉砕し、共産党を打倒した。こののちエリツィンの影響力はゴルバチョフをしのぐようになり、しだいにロシア政府が連邦にかわって政治権力を行使するようになった。 そして1991年12月8日、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ3国が「独立国家共同体」(CIS)協定に調印して、ソ連邦の終焉(しゅうえん)を宣言し、21日にはアルマ・アタで11の共和国が「独立国家共同体」設立に調印した。ゴルバチョフは25日に大統領辞任を発表し、ソ連邦は崩壊、翌26日、ソ連最高会議はソ連邦の消滅を承認した。
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