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単数もしくは複数の独奏楽器とオーケストラのための楽曲。イタリア語で「コンチェルト」。たいてい3楽章構成をとる。コンチェルトという言葉は、16世紀のイタリアではじめて曲名にもちいられたが、一般化したのはイタリア・バロック初期の1600年ごろである。コンチェルトとその形容詞「コンチェルタート」は当初、音色のことなる楽器または声の混合、もしくは楽器と声の両方の混合を意味し、宗教音楽と世俗音楽の別を問わず、ちがった音色をだす複数の楽器奏者か歌手、あるいはその両方によって演奏される曲の名称にひろくもちいられた。歌手・演奏者のグループは、一体となって協調する場合もあれば、2群にわかれて対比的に音色と強弱をきそいあう場合もあった。 イタリアの作曲家モンテベルディは、こうした「コンチェルタート様式」を、とくに「マドリガル集」第5~8巻(1605~38)の中で高度に発展させた。ドイツのシュッツはモンテベルディにも影響されて、コンチェルタート様式をドイツ語の宗教曲に適用した。このような意味のコンチェルトは18世紀まで存続し、ヨハン・セバスティアン・バッハの教会カンタータにも「コンチェルト」と名づけられた曲がある。
17世紀末にイタリアで、きまった形式をもつコンチェルトが出現した。当時、北イタリアは世界的なバイオリン音楽の中心地だったが、その代表的なバイオリニストで作曲家でもあったコレリが、12曲からなる器楽曲集作品6(1680~85年ごろに書かれ、没後の1714年ごろに出版されたとみられる)のタイトルに、「コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)」という新語をもちいた。 曲はいずれも、弦楽オーケストラと少人数の独奏グループとが競合したり、協調したりする形式で書かれている。弦楽オーケストラは、コンチェルト・グロッソ(大編成部)、リピエーノ、トゥッティとよばれ、独奏グループはコンチェルティーノ(小編成部)とよばれる。ちなみにコレリの作品では、わずか3人の奏者だけがコンチェルティーノにわりあてられた。 コレリのコンチェルト・グロッソは短い楽章を楽章ごとに拍子とテンポを対比させて並べただけであり、様式や形式は、当時の室内楽曲の主要ジャンルであったトリオ・ソナタ(→ ソナタ)と実質的には変わりがなかった。やがてコンチェルト・グロッソ様式は、イタリアのトレリなどの作曲家によって発展し、独自のジャンルとして確立する。 この様式の特徴は、分散和音による冒頭主題、推進力にみちた反復リズム、主調を明確にする和声パターンなどである。このジャンルはバロック時代を通じて人気を博し、バッハの6曲からなる「ブランデンブルク協奏曲」(1721)で後期バロックの金字塔をうちたてる。独奏楽器群(管もしくは弦、またはその両方)を弦楽オーケストラと競合させるという基本的性格は、ここにものこされている。 コンチェルト・グロッソからは、複数の楽器で構成されるコンチェルティーノの代わりに、独奏者を1人とするソロ・コンチェルト(独奏協奏曲)が派生した。この形式では、独奏とオーケストラとの音色的対比がいっそうはっきりする。トレリ、アルビノーニらによる初期のソロ・コンチェルトは、バイオリン、トランペット、オーボエを独奏楽器としたが、まもなくさまざまな楽器が独奏につかわれるようになった。 イタリアのビバルディが書いた多数のソロ・コンチェルトは、とりわけ注目に値する。おりからイタリアでは器楽の名演奏家、とくに名バイオリニストが輩出し、名人芸をふるう格好の作品としてソロ・コンチェルトを活用した。演奏の場は教会のこともあれば、しだいにふえつつあった個人の邸宅でひらかれる私的音楽会やコンサートのこともあった。 バロック時代のソロ・コンチェルトは急-緩-急の3楽章構成であり、第1楽章と終楽章で主調、中間楽章ではちがう調をとる。このパターンは19世紀末まで、協奏曲の基本的な枠組みであった。急速楽章では独奏部分が長く拡大されて、しばしばひじょうにテンポのはやい技巧的なフレーズをともなった。独奏部分はオーケストラが総奏するリトルネロ(同じ旋律を演奏する部分)と交互にあらわれ、その交替は4~5回くりかえされる。 独奏者は、楽曲の中の少なくとも1つの楽章で、即興的な音楽(カデンツァ)を演奏し、高度のテクニックと音楽性を発揮することがもとめられた。カデンツァは、最後のリトルネロの前におかれるのが通常で、古典派、ロマン派時代を通じて協奏曲に不可欠の要素であった。しかしそれ以後の作品では、演奏者の即興能力と気分に音楽が左右されることを作曲者がきらうようになり、作曲者自身があらかじめカデンツァ部分も作曲することが多くなった。
18世紀中ごろに、バロックから古典派様式への決定的な変化がおこる。この変化は、協奏曲にも影響をあたえずにいなかった。コンチェルト・グロッソは交響曲の隆盛に人気をうばわれて衰退し、この時代にはフランスで派生形式のサンフォニー・コンセルタント(協奏交響曲)が一時的に人気をえただけにとどまる。しかし、コンチェルト・グロッソの特徴は、多くが交響曲にうけつがれた。 いっぽう、ソロ・コンチェルトは、とりわけ自作自演型の演奏家にとって名人芸を発揮するまたとない曲種だったため、生きのこった。独奏楽器としては、新たに開発されたピアノが人気を獲得し、モーツァルトやベートーベンも、ピアノ協奏曲をこのんで作曲した。モーツァルトは18世紀後半における主要な協奏曲(大半がピアノ協奏曲)を書き、ベートーベンは5曲のピアノ協奏曲と1曲のバイオリン協奏曲(1798~1809)によって協奏曲の形式を頂点にみちびいた。 古典派時代の協奏曲は、伝統的なリトルネロ形式、名人芸を発揮するためのカデンツァ、交響曲でもちいられつつあった新しい形式や様式など、さまざまな要素をとりいれ、曲の規模も長大になった。第1楽章のリトルネロ形式は変形され、最初のリトルネロと最初の独奏部をあわせた部分が、交響曲における第1楽章の提示部に相当する役割をはたすように構成され、つづく部分も、独奏とオーケストラが交互に演奏したり協奏したりはするものの、形式的には交響曲の第1楽章と同じ構成をとる。終楽章はふつうロンド形式をとり、独奏部で同一主題が反復演奏される。中間の緩徐楽章には、それほど厳密な形式の規定はなかった。 交響曲と同様、協奏曲もしだいに大規模化し、さらには曲ごとに個性が明確に表現されるようになった。また、バロック時代には私的な音楽会で演奏されていた作品が、大人数の聴衆を前提とするコンサート・ホールで演奏する音楽として作曲されるようになる。
1820年をすぎると、協奏曲を3曲以上書いた作曲家はほとんどいなくなる。この時代の作品の多くは、特定の名演奏家のために書かれた。このころ、「超自然的」とまで評されたイタリアのパガニーニによるバイオリン演奏、やがてはそれに匹敵するハンガリーのリストによるピアノ演奏が、名人芸神話を生みだし、協奏曲の発展にも影響をあたえる。 ロマン派の主要な協奏曲(ほとんどがピアノ協奏曲、もしくはバイオリン協奏曲)は、リスト、ドイツのウェーバー、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ポーランドのショパン、ロシアのチャイコフスキーの作品である。彼らの作品は、3楽章構成という大枠をたもちながらも、楽章構成や各楽章の形式に種々の実験をこころみている。それでもなおかつ、基本的には交響曲に共通する性質をもち、独奏とオーケストラはほぼつねに劇的な対照を演じるものの、最終的には渾然と一体化する。
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