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  • 周期表 - Wikipedia

    周期表 (しゅうきひょう、 英 : periodic table )は、 元素 を 周期律 に従って配列した表であり、 1869年 、 ドミトリ・メンデレーエフ によって提案された。メンデレーエフは 原子量 と 酸化数 を手がかりに周期表を作成し、未発見の元素とその性質を予測する ...

  • 周期律 - Wikipedia

    周期律 (しゅうきりつ、英periodic law)とは、 元素 を 原子番号 順に配列すると元素の物理的、化学的性質が一定の周期性で変化することである。これにより元素が Sブロック元素 、 Pブロック元素 、 Dブロック元素 、 Fブロック元素 、Gブロック元素…に分類 ...

  • 楽しい高校化学(第1章-第7講)

    1-7 元素の周期律と周期表 Page 1/1 原子の周りを飛び回っている電子は、デタラメに運動しているのではなく、ちゃんとしたルールにしたがっている。 第5講では、この電子の飛び回り方を調べてみよう。

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周期律

周期律 しゅうきりつ Periodic Law
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

元素の物理的な性質や化学的性質の多くは、原子番号が大きくなるとともに規則正しく変化するという化学の法則。もっとも軽い元素からもっとも重い元素へと移行するにつれて、これらの元素の性質が変化していくが、2、8、18、あるいは32番目ごとにたがいによく似た性質が規則ただしくあらわれる。たとえば、2番目(原子番号2)の元素(ヘリウム)の化学的な性質は、10番目(ネオン)、18番目(アルゴン)、36番目(クリプトン)、54番目(キセノン)、86番目(ラドン)の元素の性質とよく似ている。原子番号9(フッ素)、17(塩素)、35(臭素)、53(ヨウ素)、85(アスタチン)の元素で構成されるハロゲンとよばれる仲間(元素の「族」という)は、ひじょうに反応性が高い元素の仲間である。

II

歴史的発展

19世紀の最初の四半世紀に、原子論を確立するもととなるさまざまな発見がおこなわれた結果、科学者たちは当時すでに知られていた元素について、その原子の相対的な重さを決定することができるようになった。この時代に、イギリスの化学者デービーファラデーによってもたらされた電気化学の発展によって、さらに多くの元素が発見された。1829年までにはかなりの数の元素が発見され、ドイツの化学者デーベライナーは、ひじょうによく似た性質をもった元素が、たとえば「塩素臭素ヨウ素」、「カルシウムストロンチウムバリウム」、「硫黄セレンテルル」、「コバルトニッケル」といったように、3つずつ組になってあらわれることを発見した。しかし、この時代に知られていた元素の数がかぎられていたことと、原子量と分子量の区別についての混乱があったために、化学者たちはデーベライナーの「三つ組元素」の重要性を理解できなかった。

1859年にドイツの化学者ブンゼンと物理学者キルヒホフが、分光光学の化学分野への応用を確立すると、さらに多くの元素が発見されるようになった(スペクトル)。60年に化学国際会議がはじめて開催されたとき、イタリアの化学者カニッツァーロは、元素のうちのあるもの、たとえば酸素は2原子からなる分子をもつ、という事実を明らかにした。これによって、化学者たちは整然とした元素の一覧表をつくることができるようになった。

このような発展の結果、さまざまな元素の性質の相関性をみいだそうとする新たな試みが盛んになった。1864年、イギリスの化学者ニューランズは、原子量の小さいものから順に元素をならべていくと、一連の性質が8つ目ごとに繰り返しあらわれることに注目した。彼はこの周期的なくりかえしを、音階になぞらえてオクターブの法則と名づけた。しかしニューランズの発見は、当時の化学者たちの関心をよばなかった。これはおそらく、観測された周期性が当時知られていたほんのわずかな元素にかぎられていたためであろう。

III

メンデレーエフとマイヤー

すべての元素の性質には原子量によってきまる周期性があるという化学の法則は、1869年に2人の化学者、すなわちロシアの化学者メンデレーエフとドイツの化学者マイヤーによって、それぞれ独自に発見された。多くの元素が未発見だったため先人たちの試みは失敗におわったが、メンデレーエフらの成功の鍵(かぎ)は、元素を分類するとき未発見の元素のため空欄を用意しておくべきである、ということを認識したことにある。

当時知られていた元素の中には、カルシウムの原子量とチタンの原子量との中間の原子量をもつものは存在しなかったが、メンデレーエフは未発見の元素があると考え、彼の表の中にその元素のための空欄をのこしておいた。この欄にはいるべき元素は1879年に発見され、スカンジウムと名づけられた。この元素の性質は、まさに周期表のその空欄に正確にあてはまるものであった。スカンジウムの発見が、周期律にもとづく予測の正当性を裏づける劇的な証拠のひとつとなり、それがきっかけとなって、無機化学が急速に発展した。

周期律については、メンデレーエフとマイヤーによって最初に体系化されたのち、2度重要な発展があった。最初の画期的な発展は、19世紀末まではその存在がまったく予想もされなかった新しい元素の仲間が発見され、それもすべてふくむようにこの法則が拡張されたことである。この仲間は、イギリスの物理学者ストラット(レーリー卿)と化学者ラムゼーによって、1894年から98年の間に大気中に発見された、希ガスまたは不活性ガスとよばれる元素のうちの3つ、ヘリウムネオンアルゴンである。周期律における第2番目の画期的な発展は、1913年に提出された原子の電子構造に関するボーアの理論によって、元素の周期性が説明されたことである。

IV

短周期型周期表

周期律は、化学の世界では一般に周期表(周期律表ともいう)のかたちで表現される。いわゆる短周期型周期表は、メンデレーエフの表に修正と追加をおこなってつくられたもので、現在でも利用されている。この周期表では、元素は横7行(「周期」という)に原子量の小さいものから順に配列され、縦は18列(「族」という)ある。水素とヘリウムの2つの元素をおさめる第1周期と、その次のそれぞれ8つの元素をおさめる第2周期、第3周期の2つの周期は短周期とよばれる。残りの周期は長周期とよばれ、第4および第5周期には18個の元素、第6周期にはランタノイドをふくめ32個の元素がおさめられる。長周期の第7周期にはアクチノイドがふくまれ、この周期は人工的につくられた放射性元素によって、103番元素のローレンシウムまでの欄がうめられている。これよりも重い超ウラン元素も、人工的につくりだされている。

周期表の縦の列である族には、伝統的に左から順にローマ数字がふられ、さらにそれぞれの族はa、bの記号によって亜族にわけられている。亜族の分け方はさまざまだが、ここでは遷移元素をbとしている。また、亜族の記号にA、Bをもちいた表もある。国際純正・応用化学連合(IUPAC)が採用している周期表の形式も、普及しつつある。この新しい形式の周期表では、族には単純に1から18までの数字が順にふられている。

1つの族に属するすべての元素は、たがいによく似た性質をもっており、一般的に他の族の元素とはひじょうにことなっている。たとえば、第1番目の族(Ⅰa族)の元素は、水素をのぞいてプラス1の原子価をもった金属で、第17番目の族(Ⅶa族)の元素は、アスタチンをのぞいて一般にマイナス1の原子価でさまざまな化合物をつくる非金属元素である。

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