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  • リムーザン地域圏 - Wikipedia

    リムーザン地域圏 (Limousin) は、フランスの中南部の地域圏である。州都は 窯業 の盛んな工業都市 リモージュ 。西岸海洋性気候の恩恵を受け、一年を通して温暖。主要産業は農業、窯業。地域圏の面積は日本の 長野県 と 山梨県 を併せたぐらい、人口は 静岡 ...

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  • リムーザン&沙羅餐

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リムーザン

リムーザン Limousin
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

フランス中西部、マシフサントラル(中央山地)の北西部に位置する地域圏(レジオン)。かつてのマルシュ州とリムーザン州にあたる。現在はオート・ビエンヌ、コレーズ、クルーズの3県にわかれ、県都はそれぞれリモージュ、チューレ、ゲレで、レジオンの中心都市はリモージュである。面積は1万6942km²、人口は72万7000人(2007年推計)。

II

地形と気候

東部の山地、北西部の高リムーザン地方、南部の低リムーザン地方の3つの地域にわけられる。東部にはジャンスュー台地、ミルバッシュ台地、モネディエール山地などの山地が広がっている。結晶片岩からなる緩やかな山地で、最高峰のベスー山も標高977mと1000mにはおよばない。水が豊かで、クルーズ川、ビエンヌ川、ベゼール川などの水源となっている。高リムーザン地方は300~600mの丘陵地帯で、なだらかなドーム状の丘がつづき、クルーズ川、ビエンヌ川、ベゼール川などがあちらこちらに広い谷をつくっている。丘陵地帯の南はブリーブ盆地で、地質は古生代の二畳紀(ペルム紀)の砂岩である。モネディエール山地の南は低リムーザン地方で、ドルドーニュ川とベゼール川にはさまれた丘陵地帯である。ドルドーニュ流域のアルジャンタ南東では数多くの川が台地に深い峡谷をきざみこんでいる。

気候は海洋性である。リムーザンの冬はきびしく、とくに東部の山地は、マシフサントラルからの北風の影響をうけて気温が低い。ミルバッシュ台地では年間110日も氷点下になる。夏はすずしい。しかしブリーブ盆地はアキテーヌ地方から影響をうけるため、夏は比較的暑い。全般的に雨が多く、年降水量は800mm以上、東部の山地では1200mmをこす。

III

産業

リムーザンはフランスの中でもっとも農村的な要素の強い地方で、農業従事者の労働人口に占める割合も高い。とりわけ牧畜が盛んで、農業生産の90%近くに達する。肉牛の飼育が中心で、赤茶色のリムーザン牛は肉質の良さで知られる。近年は、生産の多様化をはかるため、乳牛の飼育もはじめられている。ヒツジやヤギの飼育も古くから盛んで、食用やチーズ製造に利用される。一方、耕作は穀物を中心におこなわれているが、この地域は木々が耕地や家屋をとりかこむボカージュ地帯で、山地では土地もやせており、生産性は低い。従来の家族単位の小規模経営にかわって、機械化された大規模経営が導入されつつあるが、農村からの人口流出がたえない。

工業は、比較的古い歴史をもつが、ほぼリモージュ周辺にかぎられ、労働人口の20%が従事しているにすぎない。リモージュでは多種の産業がみられるが、代表は磁器である。周辺でとれるカオリンをつかって18世紀にはじまったリモージュ焼(陶磁器の「ヨーロッパの磁器」)は海外に多く輸出される。かつては磁器を絶縁体につかった電気機械の製造がおこなわれていた関係から、現在も電気機械工業がおこなわれている。伝統的な皮革業や製靴業はほとんど姿をけし、かわって付近の森の木を利用して製紙業の比重が大きくなりつつある。南部のコレーズ県のブリーブ・ラ・ガヤールドでは工業発展がめざましく、冶金、機械、繊維、パルプ製造などが広くおこなわれる。鉱物資源としては、有望なウラン鉱床が発見されており、ベシーヌ・シュル・ガルタンプには、ヨーロッパ随一の濃縮された金属ウランを生産する工場がある。

第3次産業は低調である。ロマネスク期の建築や、オービュッソンのタピスリー工場、リムーザン出身のルノワールの作品にみられるうつくしい田園風景など、観光資源をもつが、交通網の整備がおくれていることもあって、観光開発はすすんでいない。新幹線TGVはレジオン内をとおらず、高速道路も一部をとおるだけである。

IV

歴史

リムーザンにはすでに旧石器時代(石器時代の「旧石器時代」)中期に人類が居住している。低コレーズ地方やビエンヌ川とクルーズ川にはさまれた台地にはその遺跡が点在する。そのひとつ、ラ・シャペル・オ・サン遺跡はフランス最古の埋葬の跡で、10万年前のネアンデルタール人の遺骨が発見されている。

やがてイベリア人、リグリア人、ケルト人らが移住してきたが、前51年にローマ人に占領された。前27年アウグストゥスの時代にガリアは4つの属州に編成され、リムーザンはアクイタニア州に属することになった。これ以後、この地域には平和と繁栄がもたらされた。聖マルシャルによってキリスト教も広められた。伝説によると、彼はガリアの布教につとめた7人の司教のひとりで、アキテーヌ、ルエルグ、ポワトゥー地方での布教をおえてリモージュにおちつき、その初代司教になったという。276年、ゲルマン人のアレマン族やフランク族が侵入し、リムーザンはあらされた。とくにアルゲントマグス(現在のアルジャントン・シュル・クルーズ)の町の被害は甚大だった。

3世紀末、ローマの属州は再編成され、リムーザンは第1アクイタニア州に編入された。その後、比較的平和な時代がつづき、いくつかの封建領主の自治領にわかれたが、いずれも隣国アキテーヌ公国(アキテーヌの「歴史」)の支配下にあった。1152年、アキテーヌ公国の継承者であるアリエノール・ダキテーヌ(エリオノール)がプランタジネット家のアンリと再婚し、そのアンリがイングランド王ヘンリー2世となったため、リムーザンをふくむ大陸の広大な土地がイングランド領となった。このころ、1273年にリモージュのカテドラルの建造がはじめられた。14世紀に英仏間に百年戦争がおこり、1369年にリムーザンはフランス領にもどったが、14世紀を通じてリムーザンは戦乱と疫病にくるしめられ、この状況の中から、クレメンス6世(在位1342~52)、インノケンティウス6世(同1352~62)、グレゴリウス11世(同1370~78)などのローマ教皇が誕生している。

その後リムーザンは州となり、リモージュが州都となったが、依然としてまずしく、周囲からも孤立していた。しかし、1761年に経済学者でもあるA.R.L.チュルゴ(1727~81)が州知事に任命され、大規模な道路工事や税制改革をすすめ、またジャガイモ栽培の導入や技術開発によって農業振興をはかった。また68年にはカオリンが発見され、ファイアンス(錫釉(スズゆう)陶器)や磁器の製造がはじまり、オービュッソンの王立タピスリー工場の織物とともにリムーザンの重要な産業となった。74年チュルゴはここでの実績によって国の財務総監に抜擢(ばってき)された。

フランス革命後に現在のオート・ビエンヌ、コレーズ、クルーズの3県がおかれた。19世紀になると、リモージュをのぞくリムーザンは近代化、工業化の流れからとりのこされ、昔ながらの農業地帯として人口流出にくるしむことになった。当時、パリの石工の多くはクルーズ県の出身であったという。

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