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音楽における印象主義は、フランスの作曲家ドビュッシーを中心に展開された。印象主義音楽は、フランスの印象主義絵画や、ベルレーヌ、ボードレール、マラルメの詩などの影響をうけ、ソナタや交響曲といった形式ではなく、むしろ音色や雰囲気を強調した。 批評家としても活発に活動したドビュッシーは、印象主義音楽を、モーツァルト、ベートーベンなどによる形式重視の音楽や、シューマン、シューベルトなどによるロマン主義の情感豊かな表現に対する反動とみなした。彼は印象主義音楽を実践するため、新しい技法と古い技法をくみあわせた。つまり、いっぽうでは全音音階(音階上のすべての音程が全音である音階)や、複雑でそれまではあまり使用されなかった9の和音、11の和音などの新技法をもちい、他方では、中世の教会旋法にみられた4度や5度の並進行をとりいれた。 こうした特徴は、マラルメの詩にもとづく初期の管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」(1894)で完全に花ひらいた。数多いドビュッシーのピアノ曲は、微妙なペダル遣いを多用するなど、新しい演奏テクニックを要求した。 フランス印象主義音楽はラベルにうけつがれ、さらなる展開をみせた。このほか、印象派のフランス人作曲家としてデュカースとルーセルがいる。ドビュッシー様式は、イギリスのディリアスとボーン・ウィリアムズ、イタリアのレスピーギ、スペインのファリャなど、他国の多くの作曲家によってさまざまな側面が模倣された。 しかし1914年の第1次世界大戦の開戦までに、感覚の世界や洗練された技法を追究した印象主義音楽はいきづまり、作曲家や批評家から非難をあびせられるようになる。エリック・サティの影響をうけ、反ロマン主義をかかげたフランスの新しい作曲家グループ「六人組」は、印象派の行き過ぎを皮肉り、批判し、反旗をひるがえした。結果的に、ドビュッシーがロマン主義に対する反動とみなした印象主義音楽は、ロマン主義音楽の最終局面と位置づけられるようになった。
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