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570頃~632 イスラム教の創唱者。最後の預言者とされ、その教義の内容は宗教的なものから政治、社会におよび、イスラム文明の土台をきずいて世界に大きな影響をあたえた。マホメットともよばれる。 ムハンマドはメッカの有力な部族クライシュ族の氏族ハーシム家に生まれた。父は誕生前に死に、母も6歳のときに死んだので、叔父であるアブー・ターリブのもとでそだてられた。物思いにふけりがちで内気な性格であったが、おさないころから厳格な道徳性をしめし、アル・アミーン(誠実な人)として知られた。 国際商人として知られたクライシュ族のほかの人々と同じように商人となり、たびたびシリアにいき、そこでキリスト教徒と接触した。しばらくして、裕福な未亡人ハディージャといっしょに仕事をするようになった。彼女はムハンマドの誠実さと能力に心をうたれ、2人は、ムハンマド25歳のとき結婚した。
ムハンマドは商取引をとおしてキリスト教徒やユダヤ教徒の宗教的な意見をきき、彼らのなげかけるさまざまな問題になやまされたと思われる。ある時期からメッカ郊外の洞窟にひきこもり、導きをもとめて瞑想にふけったり、いのったりした。そうしているうちに大天使ガブリエルがあらわれ、ムハンマドに彼が神の預言者であることをつげた。この体験にひどく狼狽(ろうばい)したものの、妻にはげまされ、またつづけて新しい啓示がくだったこともあり、しだいに自分が預言者であることを自覚しはじめた。 妻のハディージャと、いとこのアリーが最初の信者になった。そして徐々に社会に対して神の啓示を説くようになった。コーランはこれらの啓示を記録したものである。少数の有力者の支持をえたが、改宗の動きはなかなかすすまなかった。
ムハンマドの最初期の教義は、超越性と人格性をかねそなえた神と最後の審判を信じること、そして社会的・経済的正義を強調していた。ムハンマドは、神は諸民族に預言者をつかわしたが、それらの改革はことごとく失敗して国家はほろんできたとし、そのうえで、自分こそが最後の預言者であり、それ以前の預言者のすべてに卓越すると主張した。
ムハンマドは社会改革をうったえ、奴隷や孤児、女性、貧者の地位の改善や、部族的特権を廃止することを説いた。この平等主義的、革新的傾向は、メッカを支配していた富裕な商人たちの反目をまねき、信者に対する迫害がおこったので、ムハンマドは615年、83の信者の家族にエチオピアににげるよう命じた。 619年ハディージャと叔父のアブー・ターリブがあいついで死んだのにともない、メッカには保護してくれる人物がいなくなったため、近くのターイフという町で布教活動をはじめたが、うまくいかなかった。そのとき、メッカの北方300kmにあるヤスリブ(のちのメディナ)から使者がやってきて、メディナにきて、部族間対立を調停してほしいと要請した。念入りな交渉のあと、これをうけいれ、信者たちとともにメディナに移住した。
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