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プロローグ; エジプト; 中東; 古代ギリシャ・ローマ; スキタイ; ビザンティン; 中世ヨーロッパ; ルネサンス期; 17~19世紀; 20世紀; アジア; プレ・コロンビアン文化; アフリカ; 日本
貴金属や宝石の装飾品は、社会的地位のシンボルとして、また、宗教的・社会的・政治的帰属をしめすものとして、古代からあらゆる文化をもつ人々によって身につけられてきた。もっともひろい意味では、装身具には毛髪、羽根、革、鱗(うろこ)、骨、貝殻、木、陶磁器、金属、鉱物などさまざまな有機物や無機物からつくられている品々もふくまれる。しかし厳密には、台座につけられた宝石や半貴石、および金・銀・白金・銅・真鍮(しんちゅう:黄銅)などの、希少価値があったり、人の心をひきつけたりする金属でつくられているものをいう。 頭部につける装身具としては、冠、ダイアデム(帯状髪飾り)、ティアラ(頭飾り)、ヘア・ピン、イヤリング、鼻輪、口輪、首にはネックレス、ペンダント、胸には胸飾り、ブローチ、留め金、ボタン、手足には指輪、ブレスレット、アームレット、アンクレット、胴体にはベルトや飾り帯などがある。古代の装身具についての知識の大半は、墓の副葬品からえられたものである。死者とともに貴重品を埋葬しない文化の装身具については、現存する絵画や彫刻から情報がえられる。
古代エジプト人は、今日の金工技術の大半をすでにつかいこなしていた。よくつかわれていたのは、カーネリアン、碧玉、紫水晶、トルコ石、ラピスラズリなどの半貴石やエマイユ(七宝)、ガラスを金や銀にはめこんだものである。エジプトの装身具には、ダイアデム、幅のひろいビーズのネックレスや首輪、方形の胸飾り、ブレスレット、指輪などがあった。多くのエジプト人は、両方の手首と肘(ひじ)の上にそれぞれブレスレットをつけていた。とくに普及していた装飾品は印章である。スカラベ(コガネムシ)、スイレン、タカ、ヘビ、目など、宗教的シンボルに由来するモティーフがつかわれた。 現在カイロ博物館に所蔵されている第18王朝のツタンカーメン(前1343~前1325)の墓の副葬品の装身具はとくにすぐれている。→ エジプト美術
前3000年期から前2000年期のシュメール、バビロニア、アッシリアの墓からは、金や銀や宝石でできた大量の頭飾り、ネックレス、イヤリング、動物型のお守りが出土している。有名な例としては、ウル出土の木の葉をかたどった金の王冠がある。 アナトリア、ペルシャ、フェニキアでも良質の金や銀の装身具が制作された。細工の技術としては、細粒装飾(金の小さな粒で表面をかざる技法)、細線細工(フィリグリー)、宝石の象嵌、エマイユ・クロワゾンネ(有線七宝)やエマイユ・シャンルベ(彫金七宝)などがあった。エジプトのフェニキアへの影響と、メソポタミアのペルシャへの影響は、広範な交易そのほかの接触があったことをしめしている。→ メソポタミア美術
ミノス期のトロイアやクレタでは、ギリシャで前2500年ごろからクラシック時代(前475頃~前323頃)の初頭までつづいた型と同型のイヤリング、ブレスレット、ネックレスが制作されていた。細い金属線の鎖や環、金属の薄板を花弁やロゼット(円形花文)の形にしたものなどがこれらの装身具の典型的要素だった。刻印とエマイユは一般的で、金の細粒装飾や細線細工の技法も自在につかわれていた。石はほとんどはめこまれていない。モティーフには、螺旋(らせん)形およびイカ、ヒトデ、蝶などの自然物をかたどったものなどがあった。→ エーゲ文明 前700年から前500年のアルカイク時代のギリシャと、エトルリアなどのイタリアの装身具は、ほぼ完全にフェニキアの商人によってもたらされたエジプトとアッシリアの装身具の影響下にあった(→ エトルリア文明)。技術は基本的にそれ以前のものと同じだった。圧印(エンボス)か刻印がほどこされた延べ板が基本材料となった。細粒装飾もひきつづきおこなわれ、エトルリアで極度に洗練された。 古典期のギリシャでは、細粒装飾はすたれて、エマイユがふたたびあらわれ、細線細工がひろくもちいられた。この時期の作品は、繊細優美な作風を特徴としている。金を編んだネックレスは、花や房状のものでかざられ、イヤリングは、環状の部分に、細線細工がほどこされた小円盤やロゼットがつくのが一般的だった。つづくヘレニズム時代(前4~前1世紀)には、鎖のついたアンフォラ、有翼の勝利の女神、ハトなどのモティーフがよくつかわれるようになった。同時に、重要な変化として、ガーネットをはじめとする大きな色石がデザインの中心におかれるようになった。 このタイプはローマ時代にさらに洗練され、さまざまな種類の石がつかわれるようになった。ローマではエマイユがひろく普及し、カメオの彫刻技術も頂点に達した。安全ピンに似た留め金のフィブラも流行した。指輪もひじょうに一般的で、ローマ帝国の全盛期には、10本の指全部につけることもよくあった。異国風のコハク製の装飾品も高い需要があった。→ ギリシャ美術:ローマ美術
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