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項目構成
プロローグ; エジプト; 中東; 古代ギリシャ・ローマ; スキタイ; ビザンティン; 中世ヨーロッパ; ルネサンス期; 17~19世紀; 20世紀; アジア; プレ・コロンビアン文化; アフリカ; 日本
スキタイ人は、ユーラシアの大草原地帯の遊牧民で、中東やクラシック時代のギリシャの影響をうけていた。王墓からの発掘品は、スキタイの装身具のきわめて完全な記録となっている。前1000年期の典型的な作例は、雄ジカなどの動物型の飾り板である。鍛造や打ち抜き細工の金製で、しばしば色石やガラスがはめこまれた。大きな飾り板は、馬勒(ばろく)か矢筒にとりつけられていた。小さな飾り板は衣服につけられていた。前5~前4世紀の宝飾品には、ギリシャの工匠がつくったものがしばしばつかわれ、ギリシャの豪華なデザインとスキタイのモティーフをくみあわせたものも多い。
ビザンティンの王侯貴族は、装身具をふんだんに身につけていた。6世紀のラベンナのサン・ビターレ教会のテオドラ妃のモザイクの肖像画にその例をみることができる。 ペンダントには十字架のモティーフがこのまれ、宝石がついたものもあった。指輪にはキリスト教のシンボルがつけられていた。現存している作例では、金よりもブロンズに金メッキしたもののほうが多い。エマイユの技法、とくにエマイユ・クロワゾンネの技法は、ビザンティン文化において高度に洗練され、その後のヨーロッパの宝飾品に大きな影響をあたえた。→ ビザンティン美術
ローマ帝国の没落後も、ローマの装身具のデザインや技術はひろくおこなわれていた。ゲルマン民族は金属工芸に熟達していて、金の細線細工やフィブラ(留め金)などのローマ工芸の伝統とビザンティンのエマイユ・クロワゾンネの伝統とをむすびつけた。地方的変化もみられるようになった。たとえば、安全ピンのような形をしていたフィブラは円形になった。こうした形の留め金はガリアやスカンディナビアで発見されている。環状に近いブローチは、アイルランドとスコットランドで一般的だった。おもな装飾モティーフは、様式化された動物と、複雑にいりくんだ組みひも文である。 中世の装身具の技法で重要なのは、ガーネットの薄片をエマイユのように金属の仕切りの中にはめこむ技法である。作例としては、7世紀のサフォークのサットン・フーの船型墓から出土した、ガーネットがはめこまれたバックルと留め金がある。 ブレスレットは11世紀初頭にもよくもちいられ、ほぼ環状のものが一般的だった。このほかのおもな装飾品としては、彫金やエマイユでかざられた十字架などのペンダントや、聖遺物をおさめたペンダントがある。14~15世紀ごろまでには宝石は衣装にかかせないものとなり、ネックレスや飾り帯として、あるいはヘア・ネットにつけられたり衣服にぬいつけられたりしてもちいられた。
ルネサンス期(15~16世紀)には、宝飾品はますますファッションの重要な一部になった。男女を問わず、豪華なベルベットや絹の衣服に真珠や宝石がぬいつけられたものを着用した。この時期の装身具は、豪華な色彩と彫刻的・建築的デザインを特徴としている。宗教的主題は、しだいに古典的、自然主義的テーマにとってかわられた。 典型的な宝飾品としては、不定形な真珠・エマイユ・色石がくみあわされた彫刻的ペンダントがある。ミニチュア肖像がついたブローチやペンダントも人気があり、ネックレス・鎖・飾り帯もひきつづき流行していた。ホルバインやデューラーのような高名な画家がデザインした装身具は、版画になってヨーロッパじゅうにでまわり、国際的様式を生みだした。今日もっともよく知られている工芸作家としてはチェリーニがいるが、彼のつくった宝飾品は現存していないとされている。→ ルネサンス美術
近代の宝飾品は、2つのおもなグループにわけられる。保守的なデザインのダイヤモンド宝飾品と、衣服や美術の流行を反映したその他の宝飾品である。17世紀に新しいカット加工の方法が開発されると、宝石はいちじるしく輝きをまし、ダイヤモンドが優先されるようになった。それと同時に18~19世紀には産業の発展によって、安価な素材の装身具が大量生産されるようになった。 自然主義的なデザインのダイヤモンドのティアラ・指輪・ブローチにくわえて、ポンペイで発掘された品々に刺激された新古典主義様式や、ゴシック・ルネサンス・エジプトの宝飾品を復元した様式で、低コストの装身具がつくられた(→ 新古典主義)。金や半貴石にくわえて、金属合金、ペースト(人造宝石用のガラス)、鋼鉄、鋳鉄などの素材がつかわれた。模様や台座部分を型抜きしたり、裁断したりするための機械工程の技術も生まれた。 高価なものでも一般的なものでも、セットの装身具がつくられた。女性装身具の組み合わせは、ネックレスとイヤリングとブローチが基本的単位で、これにティアラや指輪がくわえられることもあった。18世紀の男性の場合は、ボタン、靴の金具、刀の柄(つか)、騎士勲章などがセットでつくられた。 豪華なセットや単品の宝飾品が、ヨーロッパ各国の王室のために制作された。王室は数百年にわたって、戴冠式の標章、国家や個人の宝飾品や、「コーイヌール」(108カラットのインド産ダイヤモンド)などの宝石のコレクションを蓄積した。華麗な王冠の多くは、つくりかえられ、解体され、あるいはうしなわれたが、みごとなコレクションがロンドン塔、ウィーンの宝物館、クレムリンに現在ものこっている。懐中時計のケース、かぎタバコ入れ、印章、指貫(ゆびぬき)などの宝飾小物も流行した。 高価な宝石への需要があったフランスの第2帝政時代には、ダイヤモンドや真珠がふんだんにもちいられたぜいたくな宝飾品が制作された。人目をひくことや、宝石そのものの魅力が重要視されたため、貴金属工芸の職人的技術は軽視され、おとろえてしまった。19世紀の末になってようやくペーター・ファベルジェなどの宝飾デザイナーが職人的技術を復活させた。
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