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項目構成
プロローグ; エジプト; 中東; 古代ギリシャ・ローマ; スキタイ; ビザンティン; 中世ヨーロッパ; ルネサンス期; 17~19世紀; 20世紀; アジア; プレ・コロンビアン文化; アフリカ; 日本
金属工芸の復活は1900年ごろのパリで、ラリックらのアール・ヌーボーの宝石デザイナーによってさらにすすめられた。ラリックは歴史的様式にとらわれず、植物・鳥・昆虫の形態をモティーフとして利用し、素材の高価さよりもデザインを重視して、半貴石や宝石におとらずエマイユ・象牙・ガラス・角も使用した。アール・ヌーボー様式は、アメリカの宝飾デザイナー、L.C.ティファニーによってアメリカにももたらされた。 現代のアクセサリーは、ファッションや科学技術の大きな変化を反映している。第1次世界大戦後、女性のショート・ヘアが流行し、かつては一般的だった櫛や髪飾りが姿をけした。同じ時期に、宝飾品としてのバニティ・ケース(携帯用化粧品入れ)、腕時計、シガレット・ケースが流行した。プラチナ(白金)、イリジウム、パラジウムなどの強くて軽い金属によって、これまでになかった宝石の台座が可能になった。 また、新しい鋳造技術によって、彫刻的デザインや、各種の金属の質感や仕上げが大いに生かされるようになった。ルネサンス期のように画家や彫刻家がふたたびアクセサリーをデザインするようになり、たとえばフランスの画家ブラックやアメリカの彫刻家コールダーの作品は、機能性とともに耐久性にもすぐれていた。スペインの画家ダリのアクセサリーはもっと奇抜なもので、身につける機能よりもデザイン性それ自体が重視されている。 現代ではアクセサリーも大量生産されているが、スカンディナビアやアメリカでは美術工芸の伝統が強く、銀、半貴石、銅など低コストの素材が一般的につかわれている。合成樹脂は、廉価なアクセサリーにしばしば利用されている。
アジアにおける装身具には、遥か昔から現代にいたるまで連綿とつづく伝統がある。インドの装身具には、金の細帯やイヤリング、ビーズのネックレス、金属や陶器のバングル(留め金のないブレスレット)などがあり、前1500年以前からインダス川流域で制作されていた。現代のインドの金細工師は、欧米でも一般的な技術を駆使して、きわめて洗練された作品を生みだしている。銀の細線細工などの良品は、カタック、カシミール、ベンガルで生産されている。 ペルシャでは男女とも、かぶりもの、ネックレス、イヤリングなど豪華な装身具をつけていたことが、ミニアチュールによって知られる。特徴的な素材はエマイユがほどこされた金である。こうしたものの中心地は現イランのシーラーズであった。同じ技法が今日でもイランで普及しているチャームやお守りの製作にしばしばつかわれている。 中国の伝統的な装身具では、金よりも銀がよくつかわれ、変色をふせぐためにメッキされていた。銀と金には、しばしば青い七宝がほどこされた。宝石の中でもっとも尊重されたのはヒスイ(翡翠)である。皇帝時代の中国では、きわめて繊細な銀と金の細線細工の頭飾りを、身分の高い女性が身につけた。モティーフとしては、竜や鳳凰(ほうおう)などがとりいれられた。ネパール、ミャンマー、タイの金銀細工は、インドや中国の作品と関係があり、同様にすぐれたものである。
16世紀のスペイン侵攻以前の南米とメキシコでは金が容易に入手できたため、宝飾品が大量につくられた。南米の金属細工はアンデスにはじまり、やがてメキシコまで達した。複雑な鋳造技術が個人用や儀式用の飾り物につかわれた。題材は、ほとんどが宗教的なもので、仮面がめだつモティーフになっている。 トルコ石が特徴的なモザイクの象嵌は西暦700年以前にペルーにはじまり、14世紀ごろまでにはメキシコで一般化した。特産品は胸飾りで、さまざまな技法で各部が構成され、装飾されていた。ペルーの宝飾品は、動物の頭部が両側にあしらわれた仮面とペンダントに代表される。トルコ石や貝殻やガラス玉のネックレス、またイヤリングや耳栓も一般的だった。メキシコのマヤ文化では、ヒスイの耳栓、ペンダント、ブレスレットがこのまれた。→ プレ・コロンビアン美術
広大なアフリカ大陸では、先史時代からきわめてうつくしく変化にとんだ装身具がつくられている。北アフリカでは、前述の古代エジプトの作品のほかに、トゥアレグ族などの砂漠の民の、銀や銀にエマイユがほどこされた細工物が特筆される。サハラ以南では、中世期の諸王国で、指輪、イヤリング、ブレスレットなどの装飾品が、金(ガーナ王国)、コハク(ソンガイ帝国)、象牙と真鍮(ベニン王国)、ブロンズ(ヨルバ族の王国)などの素材で制作された。 貝殻やガラスのビーズは、アフリカ全土で長年にわたって個人用アクセサリーの重要な要素だった。また、アクセサリーは、宗教的シンボルをつけたり、社会的・経済的地位をしめすためにもつかわれてきた。今日のアフリカのアクセサリーは、しばしば伝統的テーマがそのまま現代的素材をもちいて踏襲されている。→ アフリカ美術
日本では石製小玉(こだま)などが旧石器時代(→ 石器時代)からみえるが、耳飾り、首飾り、腕輪、櫛(くし)などの髪飾り、腰飾りなど土・石・木・貝・角(つの)をつかった装身具が盛んになるのは縄文時代である。早期の出土も報告されているが、中期になって急速に種類がふえ、さまざまな形のものがあらわれる。後晩期には、装飾や図案などにすぐれた芸術性がみられ、関東から東北地方にかけて精巧な文様・細工のほどこされた装身具が大量に出土する。栃木・千葉県の遺跡からは500個をこす耳飾りがみつかっている。 この時期には、装身具の表面に朱をぬったものがあらわれる。朱は赤色顔料で、古くから殺菌剤・防腐剤としてつかわれたが、赤色が禁忌の意味をもつことから魔よけのためにぬられたらしい。また晩期には硬玉石(ヒスイ)製の勾玉・管玉(くだたま)などの首飾りもみられる。 弥生時代になると、南海産の貝をつかったきれいな腕輪などのほか、青銅・鉄・ガラスでできた装身具があらわれる。佐賀県の吉野ヶ里遺跡の48個のスカイブルーのガラス管玉など、九州をはじめ京都、兵庫などで管玉、小玉、勾玉といったガラス製品が発見されている。東日本では質・量ともに貧弱で、墳墓遺跡にかぎり小玉類がみられる程度である。こうしたガラス工芸は金属加工技術などにくらべて高度な技術が必要である。そのため素材(ガラス塊・小板・小棒)が日本に輸入されていたか、かなりはやい段階で大陸から専門技術者が渡来していたかのどちらかであろう。 古墳時代になると金・銀・水晶・メノウ・コハクなどの素材がくわわるが、量的には急減する。 腕輪は貝製から碧玉製となり、ほかの宝器類とともに権威を象徴するものとなった。古墳にほうむられる支配層の者たちは、金銅製の冠や金の耳飾りなど大陸の影響を強くうけた装身具類を身につけた。7世紀以降は宮廷内のきまった階層だけがわずかな装身具をつかっていた。 貴族文化の隆盛にともない、染織技術の発展による衣服の多様化から、直接に体につける装身具類はほとんどなくなり、貴族が正装の際にもつ笏(しゃく)や扇がわずかに身をかざるものであった。江戸時代になって女性の髪形が技巧的になると、象牙やサンゴでつくられたり、蒔絵や透かし彫りをほどこした装飾的な飾り櫛や簪が多用されるようになった。 豪華で多彩な文様の小袖を着ている間は、これ自体が装身具でもあったから、同時代のヨーロッパのような宝飾品は生まれず、男女とも装身具を身につけるようになるのは完全に洋服が普及した第2次世界大戦後のことである。
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