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  • ルネサンス - Wikipedia

    ルネサンス ( 仏: Renaissance 直訳すると「再生」)とは、一義的には、 14世紀 - 16世紀 に イタリア を中心に 西欧 で興った 古典 古代の文化を 復興 しようとする歴史的・文化的諸運動を指す。また、これらが興った時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある。

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ルネサンス

ルネサンス Renaissance
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

14~16世紀にイタリアで展開された、思想・芸術・学問など文化的諸領域の活動の総称。農村社会を基盤とし、知的・文化的活動が教会の統制下にあった中世の封建社会が崩壊し、都市国家が商業活動や文化的な活動を推進する時代に生まれた。また、15世紀末ごろから、イタリア・ルネサンスの成果は西ヨーロッパ諸国に波及して、絶対王政の確立する時期に知的革新をもたらした。したがって、ルネサンスという言葉は、せまい意味ではイタリア半島における文化的活動をさすが、ひろい意味では、15~17世紀にかけてのヨーロッパ諸国の類似の現象や様式を意味する。

II

概念とその再検討

ルネサンスという言葉は、フランス語で「再生」を意味し、最初に使用したのは、19世紀のフランスの歴史家ミシュレであった。ついでスイスの歴史家ブルクハルトが、イタリアにおけるジョットからミケランジェロまでの時代をえがいた「イタリア・ルネサンスの文化」(1860)の中でルネサンスの概念を確立した。神にのみ目がむけられ、文化の発展が低調であった暗黒の中世から人間性が尊重される合理的なギリシャ・ローマ時代の古典文化をよみがえらせ、近代にむけて大きくヨーロッパ文化の潮流を転換させたものとされたのである。

今日では、ミシュレやブルクハルトの見解がそのまま承認されているわけではない。第1に、ギリシャ・ローマの文化は、中世の時代にほろび、断絶したわけではなかった。西ヨーロッパにおいては、5世紀の西ローマ帝国の崩壊ののち、古典文化は直接的には継承されなかったが、15世紀まで存続したビザンティン帝国や、またイスラム圏においては、ギリシャやローマの文化はうけつがれていた。その意味では、19世紀のルネサンスのとらえ方は、西ヨーロッパの人々の、自分たちだけを文化の担い手と考える偏狭なものの見方の反映であった。

第2に、ヨーロッパ中世は、かならずしも暗黒の時代ではなく、また文化的にレベルの低い時代でもなかった。現在では、カール大帝の時代にカロリング・ルネサンスとよばれる文化の発展があったことや、12世紀ルネサンスとよばれる活発な知的活動の時代があったことが確認されている。なによりもルネサンスそれ自体が、中世の文化的発展の積み重ねのうえに展開されたものだった。ルネサンスの思想家の知的活動の基礎は、トマス・アクィナスの壮大な神学の大系やスコラ哲学などの中世の精神活動であったし、またアリストテレス学派とプラトン学派の流れは中世をとおしてつたえられていた。

第3に、20世紀になってから、ルネサンスの中には、19世紀に考えられていた以上に、はるかに強くキリスト教文化の影響がみられ、また魔術などの非近代的な要素が濃厚であることも確認されている。ルネサンス期の学術上の発見の担い手の中には多くのキリスト教の聖職者がおり、彼らは神の意志をよみとるために、人体や天体の仕組みを観察したのだった。そして、ルネサンスの第1級の学者たちが魔術や錬金術などにとりくんでいた。

それにもかかわらず、14世紀以降のイタリアや西ヨーロッパ諸国に出現した文化には、中世の文化にみられるものとはまったく異なる要素をみることができる。その意味では、ルネサンスの時代の文化を、それ以前と異なるものとして考えることは可能である。

III

歴史的背景

イタリア・ルネサンスの背景には、フィレンツェフェッラーラミラノベネツィアなどの都市の発展があった。これらの都市は12~13世紀の経済の発展と、それにともなう人口の増加によって15、16世紀まで大いに繁栄した。生活水準の全般的な向上は、現世の快楽や生活の快適さ、豪華さの追求など、死におびえ神にすがろうとした中世の人々とは異なる意識や態度をもたらした。また、14世紀の王権の拡大にともなっておきた教会の分裂は、調停者としてのキリスト教会の権威を失墜させ、キリスト教的な世界観そのものの重要性を低下させた。しかも、活発な経済活動は社会の仕組みを複雑なものにし、キリスト教的な世界観だけでは、もはや社会現象のすべてを解釈することが不可能になっていた。

いっぽう、都市の発展によって、大きな富や支配者の地位を獲得した人々は、大きな権力と、より快適な生活をもとめ、また、より多くの知識をもとめて、多数の工芸家や学者たちの活動を保護した。フィレンツェのメディチ家、フェッラーラのエステ家、ミラノのビスコンティ家やスフォルツァ家などである。また、東方との交流の増大は、衣料品や食品など、アジア起源の多くの物品をもたらして都市生活を豊かにしていたが、工芸の技術や科学、思想なども並行してイタリア半島につたえられ、ルネサンスの時代のイタリアに新しい刺激をもたらした。

IV

中世との訣別

中世知識人との違いをもっともよくあらわすものは、人文主義とよばれる知的活動であった。これは、ギリシャ・ローマ古典の研究という形式をとりながら、人間に主体をおいて研究するものだった。このような観点は、人間を神の意志によって創造された宇宙の一要素として位置づける、中世の人間観から大きくへだたったものである。人間そのものの生理的活動や精神活動を、神の天地創造の意図や神の創造した全宇宙の体系などからいったん切りはなして研究の対象とするために、ギリシャの古典の探索と収集がおこなわれ、その解釈や校訂の作業がなされたのである。

その対象となったのは、プラトンの対話編、ヘロドトストゥキュディデスの歴史書、ギリシャの演劇、詩、さらには古代末期にギリシャ語で執筆をおこなったキリスト教神学者の作品などであった。1453年にコンスタンティノープル(現イスタンブール)がオスマン帝国によって陥落し、ビザンティン帝国が滅亡すると、多数のギリシャ系知識人がイタリアに亡命したことも、このような動向を活発にする要因となった。

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