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スロバキア人はスラブ系(→ スラブ人)の民族で、人口の約86%を占め、その大半がローマ・カトリックを主とするキリスト教徒である。公用語のスロバキア語はインド・ヨーロッパ語族の西スラブ語派に属し、チェコ語との違いはわずかしかない。国内には57万人のハンガリー人(人口の約11%)のほか、少数民族としてロム(ジプシー)、チェコ人、ポーランド人、ドイツ人、ロシア人、ウクライナ人が居住する。
スロバキアは行政的には、バンスカビストリツァ、ブラチスラバ、コシツェ、ニトラ、プレショフ、トレンチーン、トルナバ、ジリナの8つの州にわかれる。 主要都市は首都ブラチスラバ(人口42万7049人(2003年推計))のほかに、コシツェ、プレショフ、ニトラ、バンスカビストリツァなどがある。
チェコスロバキアから2つの共和国への移行を円滑にすすめるために、チェコとスロバキア両政府は共通通貨、関税同盟、国境の開放に同意した。関税同盟と国境の開放は実施されたが、分離独立後まもない1993年2月8日、両国は別々の通貨を使用しはじめた。独立当初はチェコに依存した経済構造で、また、チェコにくらべて市場経済化に熱心でなく、多くの部分が国家の統制下にあるという状況から、経済の悪化が予想されたが、対先進国貿易の拡大が景気を好転させ、94年から98年まで高い経済成長がつづいた。 しかし、財政赤字の拡大が顕在化し、銀行の不良債権も明るみに出た1998年後半に経済成長はおちこんだ。99年から財政赤字削減、銀行の民営化など市場経済化が積極的にすすめられ、2000年以降、経済は徐々にたちなおりつつある。 スロバキアはチェコとの分離後、自動的にIMF(国際通貨基金)とEBRD(ヨーロッパ復興開発銀行)への加入がみとめられたが、2000年12月にOECD(経済協力開発機構)にも加盟、EU(ヨーロッパ連合)へは04年5月に加盟した。
独立以前、スロバキアは連邦予算の10分の1、GDP(国内総生産)の4分の1を占めたにすぎなかった。その理由のひとつは、スロバキアの工業化のはじまりが1948年以降とおくれたことである。工業化をソビエト連邦と東ヨーロッパ諸国に依存していたため、80年代末から90年代初頭のこれらの国の崩壊や体制転換から大きな打撃をうけた。しかし、90年代末からの資本市場の改革によって外国からの投資が拡大、とりわけ、大手自動車の進出が顕著となった。 主要な工業は、機械、化学、繊維、衣料、ガラス、建設、自動車である。農業では、穀物、テンサイ、ジャガイモ、野菜類の生産と畜産などがおこなわれている。貿易、サービス業、鉱業も重要である。鉱産物は、亜炭、褐炭、鉛、亜鉛、銅、鉄鉱石、マグネシウムが採掘される。
主要なエネルギー源は水力発電である。しかし、この電源開発が環境問題と国際問題をひきおこしている。ガブチーコボ・ダムの建設は、チェコスロバキア時代の1978年にハンガリーとの共同事業として着手され、ドナウ川に2つのダムと迂回路(うかいろ)を建設するというプロジェクトだった。89年にハンガリーが環境への配慮からプロジェクトからおりたが、チェコスロバキアは開発をすすめた。その結果、ドナウ川の水はスロバキア領内にひかれて川の水位が低下し、船舶の航行に困難が生じるようになった。 この問題はハンガリーとの対立を生み、1993年4月、国際司法裁判所にゆだねられることになった。95年1月、スロバキアはガブチーコボ・ダムのおよぼす下流域への影響をやわらげるため、放水量をふやすことに同意した。
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