![]() |
Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 1840~1917 フランスの彫刻家。材質感とモデリング(肉付け)によって精神的な力強さにみちた作品をつくり、19世紀と20世紀初頭のもっとも重要な彫刻家とされている。 1840年11月12日に警視庁下級吏員の息子としてパリで生まれる。14歳から3年間、装飾美術学校でまなび、エコール・デ・ボザール入学をこころざしたが、3度まで入学審査に落選、建築装飾の職人となって独学を重ねた。長い間カリエ・ベルーズなどの彫刻家の工房ではたらき、70年代初頭には、ベルギーの芸術家と共同してブリュッセル証券取引所の建築装飾にたずさわった。75年イタリアに旅行し、ルネサンスの彫刻家ドナテロやミケランジェロの作品にみられる身振りの表現や筋肉の動きに大きな影響をうけた。 ロダンにとって芸術の美とは、内面の精神状態を忠実に表現することにあり、そのために解剖学的正確さが犠牲になることも多かった。ブロンズと大理石による彼の彫刻は、様式によって2つに分類されるのがふつうである。ひとつは、意図的にあらあらしくした形態と、表面の入念なモデリングによるロダン特有の様式、もうひとつはよくみがかれた表面と繊細な形態による様式である。 1858~75年には、有名な「鼻のつぶれた男」をはじめとする重要な彫刻が制作された。彼が最初にみとめられたのは77年、サロンに「青銅時代」を出品したときのことだが、この作品はあまりにも写実的であったために、生身の人間から直接石膏の型をとったのではないかと非難された。 1880年に発表した「洗礼者ヨハネ」は聖人の人間的な側面を強調したもので、ロダンの名声を高めた作品である。同年、パリ装飾美術館のためにブロンズ彫刻による扉「地獄の門」の制作を開始。これはダンテの「神曲」の「地獄編」からとられた地獄の情景をあらわしたものである。「地獄の門」は未完成におわったが、それを構成する多くの彫刻のひな形や習作がつくられ、「接吻(せっぷん)」、「考える人」、などは独立した作品としても高い評価をえている。86年に完成した「カレーの市民」は、歴史上の人物のそれぞれの心理をみごとに表現した記念碑的なブロンズ群像であった。 ロダンはまた、モデルの内面をしめす肖像彫刻を多く制作し、全身像ではフランスの作家バルザックやユゴー、フランスの画家バスティアン・ルパージュ、胸像ではフランスの彫刻家ダルーやカリエ・ベルーズ、画家ピュビス・ド・ジャバンヌのものがある。 1917年11月17日パリ近郊のムードンで死去。作品の多くは、パリのロダン美術館や東京の国立西洋美術館でみることができる。
© 1993-2008 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2008 Microsoft
![]() ![]() |