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フランスの詩人・批評家アンドレ・ブルトンによりおこされた文学・芸術運動。超現実主義と訳される。精神の全的な解放と合理的なものへの反逆をとなえた。ブルトンは、1924年にパリで「シュルレアリスム宣言」を発表し、一貫してこの運動を主導した。シュルレアリスムは、西洋文化のあらゆる側面に対して反抗したダダイスム(→ ダダ)を母体として生まれた。シュルレアリスムの芸術家たちも、創造活動における無意識の役割を強調したが、それをダダイストたちよりは行儀のよい方法で表現した。
シュルレアリストたちは、自分たちの文学には長い系譜があると主張した。なかでも長編詩「マルドロールの歌」(1868~70)をあらわしたロートレアモンを卓越した存在としてあげている。また、20世紀初頭フランスの著名作家のほとんどは、一時期この運動に関係している。エリュアール、アラゴン、ルネ・クルベル、フィリップ・スーポーなどである。レイモン・クノーのようなわかい作家もシュルレアリスムに影響をうけている。 シュルレアリストたちは、文学表現にオートマティスム(自動記述)の方法をとった。作家は、心にうかんだ言葉を、どんな言葉でも神聖なものとして変更せずに書きつづった。いったんしるした言葉を変更することは、創造という純粋な行為への妨害になると考えた。自由な思考の流れによって、読者の意識下と接触できるはずだと信じた。オートマティスムは、ことに絵画においては、フロイト心理学を援用して無意識の欲求をしめすシンボルを意識的に使用するようになった。 シュルレアリストはダダイストと同様に、内的真理に対する感覚を解放するために、一般にうけいれられている作品の規範や個人的行為を拒絶した。運動は世界じゅうにひろがり、ブルトンがニューヨークに在住した第2次世界大戦期(1939~45)にはアメリカでも盛んになった。
シュルレアリスムは、20世紀の絵画や彫刻に主導的な影響力をもつ潮流のひとつである。ウッチェロ、ブレーク、ルドンが先駆者とされ、同時代の芸術家では、キリコ、シャガール、クレー、デュシャン、ピカビア、ピカソを高く評価し、シュルレアリスムの展覧会に彼らの作品が展示された。だが、いずれもシュルレアリスト・グループの正式メンバーではなかった。 1924年からは、エルンスト、アルプ、マン・レイがメンバーになった。25年ごろに短期間ながら、アンドレ・マッソンとミロが参加したが、彼らは個性が強すぎて、ブルトンの強固なリーダーシップにしたがうことができなかった。その後のメンバーには、タンギー、マグリット、ジャコメッティがいる。 ダリは30年に参加したが、のちに除名されている。シュルレアリスムの理念よりも、芸術を商品化することに関心をもっているとみなされたためである。確かにダリは、一時期はシュルレアリスト・グループの中で話題の中心となったが、その作品はあまりにも特異だったのでシュルレアリスムの一部分を代表するにすぎない。 シュルレアリスム絵画の内容と画風は、ひじょうに多彩である。ダリは、キリコが初期にえがいた夢のような絵画から影響をうけ、夢をそのまま写真のように鮮明にえがきうつして構成した。アルプの彫刻は大きくて、なめらかな抽象的な形象をしている。ミロは、空想的なイメージをもちい、子供の絵を意図的に利用し、故郷カタルニャの陶器装飾デザインとの共通性もしめしている。パベル・チェリシェフは、シュルレアリストではなかったが、絵画やバレエのデザインにシュルレアリスム風のイメージを創造した。 アメリカの分派には、画家ポール・カドムスが指導した魔術的リアリズムがある。このグループには、ジョージ・トゥーカー、アイバン・オールブライト、フィリップ・エバーグッド、ピーター・ブルーム、ルイ・グリエルミなどがいた。 アッサンブラージュの彫刻家ジョゼフ・コーネルはシュルレアリストとして出発したが、その後は独自の芸術を追求した。シュルレアリストの自由な創造への態度は、抽象表現主義の始まりにも大きく作用した。
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