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モーツァルト,W.A.

モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart
百科事典項目
項目構成
3

ウィーン時代―傑作の誕生

ウィーンで定職のなかったモーツァルトは借家にすみ、音楽教師と演奏会の収入で家計をささえながら、独立した音楽家として活動をはじめる。1782年、ジングシュピール「後宮からの誘拐」を作曲。同年、父の反対をおしきって、失恋相手アロイジア・ウェーバーの妹コンスタンツェと結婚した。84年には、演奏活動を活発におこなう。同年、フリーメーソンに加盟。

このウィーン時代の活動はめざましく、3大オペラ(「フィガロの結婚」1786、「ドン・ジョバンニ」1787、「魔笛」1791)、3大交響曲(第39番、40番、41番「ジュピター」いずれも1788)、通称「ハイドン・セット」の弦楽四重奏曲6曲(1782~85)、ニ長調「戴冠式」(1788)など17曲のピアノ協奏曲、弦楽セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1787)等々、不朽の傑作が洪水のように生みだされた。

この間の1787年4月、モーツァルトは、ウィーンをおとずれた16歳のベートーベンとであっている。ベートーベンの演奏を自宅できいた彼は、少年のまれにみる才能の未来を予言したとつたえられる。

その後、作品の充実と円熟に反比例するように、ウィーンでのモーツァルトの人気は下火となっていった。1787年ごろからモーツァルト家の経済状態は悪化しはじめ、さらに数々の不幸が彼をおそった。83~91年にかけてコンスタンツェとの間に生まれた子供は、6人のうち4人までが早世し、87年5月には父がザルツブルクで死去した。モーツァルト自身も過労から健康をそこねている。

「魔笛」作曲中の1791年7月、灰色の服をまとった不気味な男から、依頼主の名を知らされないまま「レクイエム」作曲の注文をうけた。現在では依頼主は、音楽愛好家のワルゼック・シュトゥパッハ伯爵と判明している。病とたたかいながら「レクイエム」を半ばまで作曲したところで力尽き、12月5日、35歳で世を去った。遺体はウィーン市門外の聖マルクス墓地に埋葬された。死因には憶測がとびかい、ライバルのイタリア人作曲家アントニオ・サリエリが毒をもったとの噂(うわさ)もながれたが、研究家はこの説を否定している。

III

作風

モーツァルトの音楽には、優美で明快なメロディをとうとぶイタリア趣味と、形式の洗練と対位法上の工夫を重んじたドイツ趣味の結合がみられる。簡潔・明快・均整を旨とした18世紀古典派様式を端的に表現しながら、きく者の心をゆりうごかす19世紀的傾向も先取りしていた。時代に先んじたモーツァルトの特質は、独奏楽器とオーケストラが劇的なコントラストをえがく協奏曲や、状況の変化に対して登場人物が対照的な反応をみせるオペラによくうかがえる。彼のオペラは、斬新な書法によって声と楽器との融合が達成されている。とくに際だっているのは、音楽によって登場人物の性格表現が精緻になされている点と、大規模なアンサンブルが効果的に活用されている点である。

IV

没後の再評価

没後、モーツァルト再評価の機運が高まり、オーストリアのモーツァルト研究家ルートウィヒ・フォン・ケッヘルが作品目録(1862)を作成して、全作品にケッヘル番号とよばれる通し番号(略号K.またはKV.)をふった。現行の作品表では第6版(1964)の、K6がつかわれている。生地ザルツブルクには1841年、モーツァルト研究の助成と作品演奏の奨励を目的とする国際モーツァルテウム財団が設立された。翌42年にはザルツブルクにモーツァルト像がたてられ、除幕式の祝典には、モーツァルトの2人の息子が参加した。

1920年には、リヒャルト・シュトラウス、詩人ホフマンスタールらの提唱によりザルツブルク音楽祭がはじめられた。毎年夏におこなわれるこの催しは、今日なお、世界じゅうから聴衆をあつめている。日本にも、1955年にモーツァルト協会が設立された。

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