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15~16世紀のルネサンス期にイタリアを中心にヨーロッパで展開された美術をいう。「ルネサンス」は、「再生」を意味するイタリア語「リナッシタ」に由来するフランス語である。ルネサンス様式には2つの特徴がある。ひとつは、古代ギリシャ・ローマ人がつくりあげた古典様式の復興。もうひとつは、現世の生活や人間に対して強い関心をもち、個人の価値を強調したことである。ルネサンスの時代は、自然や世界に対する関心が増大しはじめたヨーロッパの大航海時代でもあった。アジアへの新航路を切り開き、アメリカ大陸に到達して植民活動をした。画家、彫刻家、建築家も同じような探求心、知識欲にかられていた。レオナルド・ダ・ビンチはコロンブス同様、まったく新しい世界に到達したのである。 ルネサンス期になると、芸術家は中世とちがって、たんなる職人ではなく、詩人や著述家とならび称されるようになる。そして新しい表現をこころみたり、科学的な実験に没頭したりした。絵画や浮彫では、事物を相対的、合理的に表現する線遠近法(→ 遠近法)を生みだした。絵画は現実世界への窓とみなされ、現実世界を作品に表現することが画家の仕事となった。画家はそれまで以上に風景表現に力をそそぎ、樹木や花、遠くの山、雲のうかぶ空などを丹念にえがきはじめた。戸外の光の効果や、さまざまな事物を目がいかに知覚するかを研究した。徐々に輪郭と色彩をぼかして、遠くはなれた事物を表現する空気遠近法をももちいた。とくにフランドルやオランダなどの北方の画家たちは、風景表現を盛んにおこない、イタリアの画家に油絵という新しい技法をつたえた。 肖像画も15世紀半ばにひとつのジャンルとして発展した。ルネサンスの画家たちは、古代神話や聖書から題材をとった歴史画、物語絵に腕をふるい、さまざまなポーズをとる老若男女を表現した。 芸術上のルネサンスは、人文主義の発展とも一致していた。学者たちは古代の哲学書を研究、翻訳し、ラテン語をこのんでもちいた。
ルネサンスは、古代ギリシャ・ローマの伝統の強いイタリアからはじまった。イタリアのたいていの町には古代ローマの建築があり、浮彫をほどこした大理石の石棺など、古代ローマの彫刻が、何世紀にもわたってしたしまれてきたからである。
15世紀の初めに新しいルネサンス様式を創始したのは、金銀細工師から出発した3人のフィレンツェ人の彫刻家だった。 線遠近法を考案したブルネレスキは彫刻も手がけたが、最終的には建築家になった。フィレンツェ大聖堂(→ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の巨大な八角形のドーム(1436年完成)を建設した。このドームは、古代ローマ以来もっともすぐれた技術と高い芸術性をそなえた建築のひとつである。ローマで研究した古代の柱の形式をもちい、ルネサンス建築に特有の新しい内部空間をつくりあげた。 ギベルティはフィレンツェ洗礼堂の第2門と第3門の扉にほどこした浮彫でよく知られている。これは金めっきをしたブロンズ製で、第3門の扉には旧約聖書の物語があらわされ、ミケランジェロによって「天国の門」にふさわしいと賞賛された。 フィレンツェ人のドナテロは広く各地をめぐり、ベネツィア、パドバ、ナポリ、ローマでも制作し、フィレンツェの革新的な作風をイタリア各地にもたらした。代表作のひとつに、ゴリアテの首を足でふみつけている旧約聖書の英雄「ダビデ」像(1430?~35)がある。これはどの角度からでも見られるように構想されたほぼ等身大のブロンズ像で、古代以来初めての裸体像である。またフィレンツェ大聖堂のためにつくられた大理石の「カントリア」(1443?~48)では、プットとよばれる裸体の童子たちが大勢でおどる姿をあらわしている。ドナテロは素材にテラコッタや木ももちい、ブルネレスキの遠近法を浮彫に応用した。聖人像を数多く手がけ、豊かで威厳のある表現によって、その後100年にわたって彫刻評価の基準となった。
新しい様式をもちいた最初の画家はマサッチョである。おしくも27歳で夭折(ようせつ)したが、芸術の歴史に決定的な影響をあたえた。フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会ブランカッチ礼拝堂にえがいたフレスコ画連作「聖ペテロの生涯」(1427?)では、線遠近法と空気遠近法をともにもちいている。その中でもっとも有名な「貢(みつぎ)の銭」では、堂々とした威厳のあるキリスト像と使徒像を新しい感覚でえがいた。ブランカッチ礼拝堂は画家たちにとっての修業の場となり、ミケランジェロもマサッチョのえがいた人物像を模写している。フィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会の壁画「三位一体」(1425?)では、ブルネレスキの線遠近法を利用して、礼拝堂の内部空間をはじめて立体的にえがいた。 ウッチェロは、線遠近法の可能性に強い関心をいだき、1440年代にフィレンツェのメディチ宮のために制作した3枚の戦闘場面は、極端に奥行きをちぢめてえがかれている。フィレンツェ大聖堂にえがいた巨大な「ジョン・ホークウッド騎馬像」(1436)は、古代ローマ風のブロンズ製の騎馬像を模したものだった。 初期ルネサンスを代表するもうひとりの画家は、修道士のフラ・アンジェリコである。彼は活力にみちたルネサンス様式を繊細な色彩と描法によって洗練されたものにし、独自のスタイルをつくりあげた。1430~40年代には、フィレンツェのサン・マルコ修道院のドミニコ修道士の僧房に壁画をえがいている。 イタリアのルネサンス美術をつねにリードしていたのはフィレンツェだったが、それ以外の地方でも重要な画家が輩出している。ベローナ出身のピサネロは、マントバのゴンザーガ家やフェッラーラのエステ家などが支配する公国のために制作した。マサッチョとくらべて抒情(じょじょう)的で華麗で、ひじょうに洗練された様式をつくりあげた。数多くのブロンズ製の肖像メダルを制作し、注文主の貴族から高い評価をうけた。 ベネツィア派絵画の創始者とされるヤコポ・ベリーニは、のちにフィレンツェ派の強力なライバルとなる。作品はほとんどのこっていないが、この時期のものとしては質、量ともに貴重な素描が多数ある。画家ジェンティーレ・ベリーニとジョバンニ・ベリーニの父親であり、マンテーニャの義父だった。 ルネサンス第1世代の画家には、ウンブリアが生んだ天才ピエロ・デラ・フランチェスカがいる。彼は遠近法と数学についての著書もある。アレッツォにあるサン・フランチェスコ聖堂内陣の壁画連作「聖十字架伝説」(1453?~54)の構図は、幾何学的で綿密に計算されており、マサッチョの様式をさらに抽象的で超然としたものにしている。ふつう板絵にもちいられるテンペラを、フランドルの画家たちからまなんだ油絵具と併用した。 アルベルティは、あらゆる点で初期ルネサンス美術を代表する人物だった。人文主義者、ラテン語学者、著作家であり、絵画と彫刻の経験があり、創意豊かな建築家であった。家族がフィレンツェを追放されていたので、北イタリアで学問をおさめた。彼が設計したフィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ聖堂ファサード(1458年完成)は、神殿のデザインを応用したもので、のちの建築に広く影響をあたえた。マントバでもサンタンドレア聖堂(1494)をはじめ、いくつかの教会を設計した。絵画論、彫刻論、建築論をあらわし、当時の芸術上の革新と古代芸術について論じ、新しい思想をイタリアだけでなく他の国々にも広めた。「絵画論」はブルネレスキ、ギベルティ、ドナテロ、ルカ・デラ・ロッビア、マサッチョにささげられている。
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