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カトリック教会

カトリック教会 カトリックきょうかい Catholic Church
百科事典項目
項目構成
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教皇

カトリック教会の頂点をなすのは、教皇(「ローマ法王」は俗称)である。教皇は、教会にかかわるすべてのことがらについての究極的な権威をもつ。教皇は各教区に司教を任命したり、担当教区を移動させたりする。各司教は、職務上、それぞれの教区における法治上の権力をもつが、教皇の認可なしにはその権力を正当なものとして行使できない。

1965年9月15日、教皇パウルス6世は世界代表司教会議を制度化した。これは、重要な問題に関して助言をもとめるために教皇が召集する、司教およびその他の代表者たちの協議会である。最初の会議は67年にバチカン市国でおこなわれ、以来、何度かの会議がもよおされている。

この代表司教会議は、世界じゅうの全司教が召集される厳粛な公会議と混同されてはならない。カトリック教会がその長い歴史の中で、公会議をひらいたのはわずか21回にすぎない。もっとも新しいものは、1962~65年の第2バチカン公会議である。公会議は教皇と一体をなすものだが、それがカトリック教会における最高の権威をなすことは疑問の余地がない。

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枢機卿

枢機卿は、教皇についで高い権威をもつ聖職者である。彼らは教皇によって任命され、教会の最高会議機関である枢機卿会を構成する。教皇が死去した場合には、枢機卿たちが互選で後継者を選定する。枢機卿のほとんどは、世界じゅうにもうけられている教区の司教である。その他は、教皇庁の諸聖省や諸官庁の長としてバチカンに常勤する司教である。

かつては、枢機卿会の定員は70名に制限されていた(構成は、司教枢機卿6、司祭枢機卿50、助祭枢機卿14)。2005年4月1日現在枢機卿の数は183。そのほとんどは、教皇ヨハネ・パウロ2世によって任命された人々である。

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教皇庁(ローマ聖庁)

教会統治のうえで教皇を補佐する組織が、教皇庁とよばれる複雑な官僚機構である。古来、教皇庁はバチカン市国におかれている。現在では、国務聖省が中心となって運営されており、他の各省庁は国務聖省に業務について報告することになっている。各省庁は、国務聖省をふくむ10の聖省、3つの裁判所、3つの官庁、教皇庁外交をあつかう教会外務評議会その他からなっている。

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東方典礼派

カトリック教会のほとんどの信徒は、初期の時代にローマの司教区で発展した教会規律、典礼様式、教会法にしたがっているが、一部にはこれらのことがらに関して、何世紀もの間つちかわれてきた独自の伝統をまもっている人々がある。

彼らの教会は、東方典礼カトリック教会ないし東方帰一教会(ユニアト教会)とよばれ、マロン派教会、カルデア式典礼教会、ルテニア式典礼教会、ウクライナ式典礼教会などがこれにあたる。これらの教会の一部では、信徒にもパンとブドウ酒の両形色の聖体をあたえる聖体拝領や、体全体を水にしずめる浸礼による洗礼などが正統的なものとしておこなわれており、また、聖職者の結婚もゆるされている。

III

独特の教義

カトリック教会は、ほかのキリスト教教会とは区別される独自の教義をもつが、最大の特色は、その教義的伝統がひじょうに広範囲かつ包括的なことである。カトリック教会は、自己の起源を最初期のキリスト教共同体にまでたどり、その歴史にいかなる断絶もみとめることを拒否しており、自教会こそ、使徒時代、教父時代、中世および近代におけるあらゆる神学的思想の継承者であると自任している。この教義上の包括性は、ときには内的整合性を欠いているようにみえることもあるが、教義の面においてさえ、この教会が「カトリック的」すなわち「普遍的」性格をもっているという主張の支えとなっている。

カトリック教会は原則として、いかなる神学的方法も排斥することはなく、教皇ピウス12世の回勅「ディビノ・アフランテ・スピリトゥ(聖書釈義に関して)」(1943)以来、聖書釈義のための現代の批判的・科学的諸原理を公認している。第2バチカン公会議以降は、信仰一致運動(エキュメニズム)にも積極的に参加し、カトリック神学者の中には、16世紀にたもとをわかったプロテスタント宗教改革者たちの教義的観点をとりいれる者まででてきている。

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