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項目構成
選択的注意と眼球運動との関係は、注視点のサッケード(飛躍運動)によってしらべられてきた。たとえば、周辺視野にある目標物がとらえられるとき、そこに注視点がさっと移動し、中心視によってそれをとらえなおすような変化がおこる。このときの注視点の移動をサッケードとよぶ。 一般に1点に凝視点が停留している時間は、およそ0.2秒、そして停留点から次の停留点までのサッケードに要する時間は、およそ0.05秒、さらにサッケードの間は、網膜情報処理が抑制されることが知られている。このようなサッケードが、選択的注意と関係があることはいうまでもない。
これまで、認知心理学の問題の立て方や議論の仕方を駆け足で概観してきた。音楽会のシーン全体を視野にとらえた状態から、ビオラ奏者に注意をむけ、さらに楽器のビオラに注意をむけ、その3次元的な物体をビオラと同定する過程が、さまざまなモデルでどのように説明されるかをみてきた。しかし、古典的な知覚研究との関連からすれば、なお形や大きさの恒常性(→ 知覚の恒常性)という問題や、奥行き知覚の問題、奏者の運動と知覚との関係などが明らかにされなければならず、ひとつの知覚的風景の視覚面にかぎってさえ、それを今の認知心理学の枠組みのもとに完璧に理解することがいかにむずかしいかがわかるだろう。 さらに聴覚的側面についていえば、オーケストラの演奏をとおして耳にはいってくるさまざまな楽器の音が末梢感覚器において周波数分析にかけられることは、すでにみたとおりである。しかし少なくとも、わたしの耳は、楽器全体がかなでる音のハーモニーをききながら、他方でそれぞれの楽器の音をその位置に定位することができ、また注意をビオラにむけるときには、その音のハーモニーの中に、バイオリンやチェロの音とは区別してそのビオラの音をききわけることさえできる。 このような音源定位の問題や音脈分凝の問題もわれわれの聴覚的認知の基本的な問題であろう。つまり、聴覚の末梢部位でえられた情報がどのように分解されて、音源定位と音脈分凝をもたらすかという問題である。 さらに、今きこえてくる旋律は、ある作曲家のある作品のある楽章であることをわたしは知っており、次にどのような旋律がくるかを予期し、しかも、すでに何度もききなれた著名な指揮者による名盤の演奏と比較して、今耳にするその演奏がうまいのかへたなのかの審美的な判断もおこなっている。音楽会である演奏をきくということは、このように現在の聴取経験と過去の経験とが混交するなかで、審美的判断をもふくむさまざまな認知が同時進行するということなのである。このような視覚的、聴覚的な知覚過程に記憶過程がからんでくることはいうまでもない。
一般に記憶とは、過去におこった出来事がなんらかの形で頭の中に保持され、ある時間を経過したのちに、それが必要に応じて想起され、なんらかの形で再生される過程と定義することができる。 (1)友人とであい、1週間後に再会を約束してわかれた人が、1週間後にその約束を思いだして約束された場所にでかけるというのは、記憶の働きによる。(2)授業で学習した外国語の単語を試験にそなえておぼえ、試験の問いにこたえるというのも記憶の働きによる。(3)ある犯行を目撃した人が、かなり時間が経過したのちに、その時の出来事を証言台で証言するというのも、記憶の働きによっている。 これらの例をふりかえりながら先の記憶の定義にもどってみると、出来事がおこった過去を起点にすれば、記憶の問題は、その過去の出来事から現在の行動へ、という時間の流れに順向した過程と考えることができる。しかし、現在を起点としてこれを考えれば、記憶の問題は、今ここから時間をさかのぼり、過去の出来事にたどりつく、という想起の問題だということになる。 3つ目の証言の例などでは、過去の出来事が、客観的にどうであったかは不明であることが多いから、想起された過去の出来事にもとづく証言は、証言する主体にどれほど過去の出来事そのものの再現だと思われようとも、その主体によって「構成された」という一面をもたざるをえない。 しかしながら、エビングハウスにはじまる記憶研究の歴史は、記憶を基本的には過去の出来事を起点にした、時間に順向する過程として、研究してきたといえる。すなわち、過去の出来事(刺激)→記銘(頭にやきつける)→保持(頭の中に保持する)→想起(思いだす)→行動(反応)という時間の流れにそった過程としてである。今日の認知心理学でも、記憶の問題は、情報処理の観点から、入力(刺激)→コード化→貯蔵→検索→出力(反応)という流れで考えられている。
外界の膨大な情報は、感覚器での処理を経由して、感覚記憶に一時的に保存される。その膨大な情報のうち、重要な情報だけがとりだされ、優先的に処理システムにとりこまれる。そのとりこまれた情報を、後処理が可能な表現形式に変換する過程を一般にコード化という。
今「コンピューター」という印刷された言葉をおぼえるようにいわれた人は、この刺激のどのような属性に注目して、記憶しようとするだろうか。まず第1に考えられるのは、これをよんだときの音韻の属性をそのまま頭にやきつけようとするやり方で、これは「音韻的コード化」といわれる。 次に、これを文字のかたまりとして視覚的にとらえ、それを頭にやきつけようというやり方があり、これを「視覚的コード化」という。さらにこの刺激の意味を考え、その意味として頭にやきつけるやり方があり、これを「意味的コード化」という。これらのコード化は、記憶すべき材料によって、あるいはもとめられている記憶課題によってことなることはもちろんであるが、記憶する主体のコード化の方略(ほうりゃく)や利用する文脈などによってことなってくることが知られている。
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