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    バレエ ( Ballet )は、 西ヨーロッパ で発生し広まった、歌詞・台詞を伴わない舞台舞踊。及びその作品を構成する個々の ダンス 。 音楽 伴奏 ・ 舞台芸術 を伴いダンスによって表現する舞台で、もとは オペラ の一部として発達した。

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バレエ

バレエ Ballet
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

舞踊、音楽、美術の3つの要素からなる総合的な舞台芸術。腰から下を外側に開くことを基本とする5つの脚のポジションがあり、それにもとづいて構築された高度なテクニックを習得したダンサーによって踊られる。ルネサンス期のイタリアで生まれた王侯貴族の社交的なダンスや宴会の余興が起源といわれ、1490年にミラノ大公ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァのもよおした宴会では、レオナルド・ダ・ビンチが衣装のデザインとその背景のからくりを担当したという記録がのこっている。このようにバレエはまずイタリアで、ついでフランスで舞踊としての形をととのえ、ロシア、イギリス、アメリカ、そして日本などへと広がり、世界に共通する舞踊芸術として現在の隆盛をみるようになった。

II

歴史

1

王妃のバレエ・コミーク

フィレンツェの名家・メディチ家カトリーヌ・ド・メディシスが、のちのフランス国王アンリ2世に輿(こし)入れした時、イタリアの王侯貴族が金と暇をおしまずにつくりあげたさまざまな贅沢(ぜいたく)をフランス宮廷にもちこんだ。芸術家、音楽家、各種の芸人、料理人たちなどがカトリーヌにしたがってフランス入りしたが、その中にバルタザール・ド・ボージョワユー(?~1587)という音楽家兼演出家がおり、彼はフランス宮廷で、イタリア式の余興をともなった豪華な宴会をたびたび演出した。とくに1581年10月15日、プチ・ブルボン宮殿大広間でもよおされた「王妃のバレエ・コミーク」は評判となった。これは、カトリーヌの義弟で国王アンリ3世の寵臣(ちょうしん)だったジョワユーズ公の婚約をいわう宴会の余興としておこわれたもので、詳細な記録がのこされていることもあり、これを最初のバレエとする考え方が一般的である。

2

王家の威信を内外にしめした宮廷バレエ

「王妃のバレエ・コミーク」の成功により、フランス宮廷にこの種の催し物が確固とした地位をきずくことになる。それは宮廷の娯楽であると同時に王家の威信を内外にしめす場として、カトリーヌの死後も、アンリ4世の妃のマリー・ド・メディシス、ルイ13世らの手あつい庇護(ひご)のもとにつづけられ、しだいに洗練の度を高めていった。しかしまだその内容は、神話の登場人物などをあらわす奇抜で重々しい衣装をまとった王やその取り巻きの貴族たちが、宮廷の大広間の床にえがかれた複雑な軌跡をたどりながら、音楽にあわせてあるく初歩的なダンスだった。しかしルイ13世の時代になり、その技術がしだいに高度化するにしたがって、イタリア式のプロセニアム・アーチ(劇場の客席と舞台を仕切る額縁のこと)をそなえた舞台が出現し、演じる者と鑑賞する者との分化がすすむ。

3

ルイ14世の王立舞踊アカデミー

ルイ14世は、バレエ芸術の有数のパトロンだったばかりでなく、幼少からバレエ教師ピエール・ボーシャン(1636~1705)のレッスンをうけた舞台人でもあった。13歳で「カッサンドラ」というバレエで初舞台をふみ、自身がたてたベルサイユ宮殿において、生涯で26ものバレエの主役を演じた。学問、芸術の振興に熱心だった王は、1661年には王立舞踊アカデミーをボーシャンに命じて創設し、バレエ・テクニックの基本となるアン・ドゥオール(腰から下を外側に開くこと)とそれにもとづく5つの脚のポジションをさだめた。このポジションは300数十年たった現在でも、バレエ芸術の土台として機能している。

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