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項目構成
運河の歴史は古く、すでに紀元前にはアッシリア人(→ アッシリア)、エジプト人、インド人、中国人によって、交通・運輸の手段として運河がもちいられていた。イラクの運河の遺跡は、前4世紀のものといわれ、中国の天津市と杭州市の1782kmをむすぶ大運河は、前6世紀に着工し1327年に完成、現在もなお使用されている。 17世紀になると、フランスからベネルクス三国、北ドイツへいたる低地帯では、盛んに運河建設がおこなわれた。1681年に完成したフランスのトゥールーズから地中海に通じるミディ運河は、当時の土木技術の粋をあつめたもので、その後の運河建設の手本となった。 帝政ロシア時代にピョートル1世は、首都サンクトペテルブルクとボルガ川河畔のルイビンスクをむすぶ、マリインスカヤ水路(現、ボルガバルト水路)の建設を開始し、19世紀はじめに完成した。 1832年にスウェーデンでは、イエータ川上流のベーネン湖からバルト海まで190kmのイエータ運河が完成した。イエータ運河を経由して、バルト海に面したストックホルムと北海側のイエーテボリがむすばれている。 ドイツのドナウ川とライン川をむすぶルートウィヒ運河177kmは、1832年に建設された。また、69年にはスエズ運河によって地中海と紅海がつながり、1914年にはパナマ運河の開通によって、はじめて太平洋と大西洋がむすばれて大幅に航路を短縮し、産業の発展に大きく貢献した。その後ドイツでは、ライン川東のドルトムント・エムス運河から、マグデブルク北のエルベ川までのミッテルラント運河(467km)が完成し、1万1265kmにおよぶ東西の交通の大動脈となっている。
イギリスにおける最初の運河は、トレント川とウィザム川をむすぶフォスダイク・アンド・ウィザム水路で、ヘンリー1世統治下の1134年に完成した。18世紀後半から19世紀の初頭にかけて、アイルランドとイギリスでは活発に運河建設がおこなわれた。その時期のもっとも有名なものは、アイルランドの首都ダブリンとシャノン川を東西にむすぶ、134kmのグランド運河(1756年完成)と、スコットランド地方を横断する97.3kmのカレドニアン運河(1847年完成)である。また1894年には、マンチェスター運河が完成している。
カナダにはセントローレンス水路、オタワ川運河、シャンブリ運河、リドー運河(→ オタワ)、トレント運河などがある。これらの中でセントローレンス水路は、五大湖のひとつのスペリオル湖からセントローレンス湾まで、4.3mの深さの水路をそなえていたが、セントローレンス水路計画の一環として、喫水線が7.8mもある外洋船が、大西洋から五大湖畔のシカゴやツールーズまで航行できるように、1959年に8.2mまでほりさげられた。 アメリカでは、18世紀の末ごろから、東部の沿岸地域を中心に小規模な運河がつくられたが、内陸部の開発に寄与したのはエリー運河(1825年完成。現在はニューヨーク州運河システムの一部)である。この運河によって五大湖からハドソン川を経由して、ニューヨークまでの航路が開発された。以後、スー運河、沿海大水路、ヒューストン運河(→ ヒューストン)、チェサピーク・デラウェア運河(→ チェサピーク湾:デラウェア川)などが次々につくられ、大西洋航路は五大湖まで延長された。
日本では、17世紀ごろから運河の建設が盛んになった。17世紀前半のものとしては、角倉了以による高瀬川(京都中心部と伏見をむすぶ運河)の開削が知られるが、江戸時代には利根川、江戸川、淀川、大和川、北上川などでも水路がつくられ、交通や運輸、灌漑などに利用された。遠賀川と洞海湾をむすぶ筑前(現在の福岡県北部)の堀川もこのころつくられたもので、明治時代には、筑豊炭田から産出する石炭の輸送につかわれた。また、1890年(明治23年)には田辺朔郎(たなべさくろう)によって、大津市と鴨川をむすぶ琵琶湖疏水(びわこそすい:→ 疏水)が建設され、のちに京都の伏見まで延長されて、昭和初期まで小型船の交通に利用されたが、大部分の運河は、陸上交通の発達とともにその機能をうしなっていった。
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