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直接には経験することができない究極的実在をあつかう哲学の一部門。中世以来の伝統的な区分にしたがえば、形而上学は、物が「存在する」とはどういうことかというきわめて抽象的な問題を論じる一般形而上学、つまり存在論と、人間にとって重要だが、経験的には知りえない特殊な存在者(神、人間の魂、宇宙)を問題にする特殊形而上学とにわかれる。
形而上学という名称の由来は、ローマのペリパトス学派の哲学者アンドロニコスにさかのぼる。彼はアリストテレスの著作を編集する際に、自然学をあつかった諸論文のあとに、もともとは第一哲学とか神学とよばれていた諸論文を配列した。そのために、第一哲学の論文は、ta meta ta physika「自然学のあとにつづくもの」として知られるようになり、それがのちにちぢめられて、metaphysikaとなった。 アリストテレス自身は、みずからの第一哲学(形而上学)の課題を「存在者であるかぎりでの存在者」をあつかうことにあるとしていた。彼の形而上学は具体的には、実体と偶有性、形相と質料、現実態と可能態といった概念を論じている。
トマス・アクィナスを中心とする13世紀のスコラ哲学者(→ スコラ学)たちは、有限な感覚的事物の因果的研究を通じて神を認識することが形而上学の目標だとしていた。一般にカント以前には、形而上学は、ア・プリオリ(→ ア・プリオリとア・ポステリオリ)な認識(経験や観察に依存せず、純粋に理性だけによってえられる認識)にもとづく原理から出発する学問とされ、しかも、この原理がそのまま宇宙を構成する実体とされていた。この実体が、1つと考えられるか、2つ、ないしそれ以上と考えられるかに応じて、一元論、二元論、多元論が成立する。 一元論の場合、そのただひとつの実体が物質的なものと考えられるか、精神的なものと考えられるかによって、唯物論的一元論と観念論的一元論にわかれる。前者の代表がホッブズだとすれば、後者の代表はバークリーである。スピノザのいう実体は、物質的なものでも精神的なものでもない。彼は、宇宙と神を同一であるとする汎神論をとなえる。→ 観念論:唯物論:汎神論 二元論の典型は、思惟と延長とを独立した2つの実体とみなすデカルトの立場であり、宇宙は無数のモナドからなると主張するライプニッツは、多元論の典型である。
しかし、近代自然科学の興隆とともに、厳密な学としての形而上学の可能性が疑問視されるようになった。ロックやヒュームが展開したイギリス経験論は、すべての認識は経験的であるとして、究極的実在の認識の可能性を否定した。 カントは、すべての認識は経験からはじまるという点では経験論を支持する。しかし彼によれば、認識は、経験論が主張するように、外界をただ受動的にうつしとるだけではない。むしろ、人間は自分に本来そなわっている形式(空間、時間、因果関係など)にしたがって混乱した感覚情報を秩序づけることによってはじめて、認識の対象をつくりあげる。 そうだとすると、「経験されるすべての物は空間と時間のうちにあり、因果関係にしたがう」という陳述は、例外なくただしいことになる。というのも、人間はそもそも空間・時間や因果関係という形式をとおしてしか世界をながめることができないからである。すべての人が生まれたときから緑のサングラスをかけているとすれば、「世界は緑である」という発言はだれにとってもただしいはずである。 空間・時間などの形式は、それによって経験的なものがはじめて可能になるのであるから、経験に先立ち、経験をこえている。カントは、ここにあらわれる新しい形而上学的な次元を、超越論的という名前でよぶ。このため、彼の形而上学は超越論的哲学とよばれる。
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