Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 ページ 2 / 2
項目構成
象徴主義の動向は1890年代までつづき、バレリー、ジッド、クローデルなど、当時はまだ若かった、のちの大詩人、作家たちに大きな影響をあたえた。 まもなく象徴主義は、世紀末の頽廃的な社会風潮もあいまって、西欧各国に広がっていった。ベルギーの作家メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」(1892刊、93初演)は、数少ない象徴主義演劇の傑作である。また、とりわけ帝政末期のロシアでは、ブローク、アンドレイ・ベールイ、ビャチェスラフ・イワノフといった詩人たちが、従来のロシアの伝統のうえに象徴主義をみごとに開花させ、すぐれた詩、小説、評論を生みだした。その後のフランスのシュルレアリスムや英米のイマジズムなど、20世紀モダニズム文学の形成にも、象徴主義は大きく寄与している。
日本においては明治期から、西欧の象徴主義文学が、イギリスの批評家シモンズの評論「文学における象徴主義運動」(1899)などをとおして紹介されており、蒲原有明、薄田泣菫、岩野泡鳴などによって「象徴詩」とよばれる詩が書かれていた。 しかし、もっとも影響力の大きかったのは上田敏の訳詩集「海潮音」(1905)である。これはフランス、ドイツ、イギリスなどの詩人のアンソロジーであるが、とくにフランス象徴主義の紹介に重点がおかれている。この訳詩集の影響のもとに書かれた蒲原有明の詩集「有明集」(1908)が、日本ではじめての本格的な象徴主義の作品とみなされている。その後、この系譜につらなる詩人としては、北原白秋、三木露風、萩原朔太郎、日夏耿之介などがおり、さらにくだって吉田一穂(いっすい)が象徴主義的な作風をもつ。
視覚芸術における象徴主義は、一般的な表現形式をさす場合と流派をさす場合がある。前者の意味での象徴主義とは、ポーズとか動作など、図像アレゴリーをもちいて作品にかくれた意味をあたえる手法である(→ 図像学)。後者の意味での象徴主義は、ロマン主義と印象主義の写実的アプローチに対する反動として、1880年代のフランスにはじまった美術動向をさす。それは画風というよりも、具象から抽象へとむかう流れをおしすすめた国際的な思潮だった。 象徴主義の表現が最初にみられるのは、ピュビス・ド・シャバンヌ、モロー、ルドンなどのフランス画家の作品である。彼らは鮮明な色彩と表現豊かな描線をもちいて、情感のこもった夢幻的世界を描いた。それは、文学、宗教、神話にまつわる主題をもち、しばしば死のテーマにまでおよんだ。彼らの後継者には、独特の色使いで感情を表現したオランダ人画家ゴッホや、ゴーギャン、エミール・ベルナールなどのフランス人画家がいる。ゴーギャンとベルナールは、1888年から90年にかけてブルターニュ地方のポンタベンでいっしょに制作をおこなった。鮮やかな原色をつかって、太く輪郭を描くという手法で、構図は平面的、装飾的である。その好例が、ゴーギャンの「説教のあとの幻影(ヤコブと天使の争い)」である。彼らはこうした表現法を、印象主義の分析的アプローチに対して、「総合主義」あるいは「象徴主義」とよんだ。象徴主義の最初の展覧会は、89~90年のパリ万博の際に、ゴーギャンによって組織された。 フランス象徴詩の影響のもとで、絵画における象徴主義は1889年から1900年にかけて、セリュジエ、ドニ、ボナール、ビュイヤールらにうけつがれる。彼らはナビ派と自称、装飾としての芸術を強調して、主観的な色使いをおこなった。スイスのホドラー、ベルギーのアンソール、ノルウェーのムンク、イギリスのビアズリーなどの画風はひじょうにことなっているが、その基礎に象徴主義がある。ビアズリーの作品では、象徴主義的な妖艶(ようえん)さと、アール・ヌーボー風のくねくねしたフォルムがむすびついている。象徴主義は、色彩とフォルムを主観的で暗示的にもちいたという意味で、フォービスム、表現主義、シュルレアリスムなど、20世紀につづいておこった流派の基礎となった。
ワーグナーが象徴主義に影響をあたえたのとは逆に、象徴主義から影響をうけた音楽家としては、マラルメの「半獣神の午後」のための前奏曲や、ボードレールやベルレーヌの詩による歌曲を書いたフランスの作曲家ドビュッシーや、象徴主義詩人とまじわりながら、特異な美学にしたがって作曲をおこなったロシアの作曲家スクリャービンなどがいる。
© 1993-2009 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2009 Microsoft
![]() ![]() |