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1964年に制定され74年に修正された憲法によってマルタの政治はおこなわれている。国家元首は大統領で、議会の決議によって指名され、任期は5年。立法府の議会は比例代表制の普通選挙で選出される65名の議員からなり、議員の任期は5年。議会で多数の支持をえて大統領に指名された首相が、内閣を組織し、議会に責任をもつ。おもな政党は、国民党(PN)と労働党(MLP)。
マルタ島やゴッツォ島には、前4500~前2000年ごろの建造といわれる巨石神殿遺跡が数多くあり、かつてこの地に発達した文明が存在したことをしめしている。前1000年ごろ、マルタはフェニキアの植民地となるが、前736年にはギリシャに占領されメリタとよばれた。その後、カルタゴ、さらに前218年にはローマの植民地となる。395年にローマ帝国が分裂すると、マルタはビザンティン帝国の支配下に入るが、870年にアラブ人に占領される。
ノルマン人がマルタのアラブ勢力を征服したのは1090年のことだった。その後、マルタはシチリア王国の封土となる。1530年、神聖ローマ帝国皇帝カール5世はマルタをロードス島をおわれた「エルサレムの聖ヨハネ騎士団」にあたえ、同騎士団がマルタ騎士団として19世紀までマルタを支配した。マルタはカトリック世界のオスマン帝国に対する最前線基地として重要度を高め、65年、オスマン帝国がマルタ奪取に失敗すると、騎士団はバレッタに地中海一といわれる強大な要塞をきずいた。
1798年、ナポレオン1世はエジプト遠征の途上でマルタを占領したが、地中海におけるマルタの戦略的重要性に注目したイギリスは、99年、ネルソン提督にバレッタを攻撃させ、フランス軍をしりぞけた。1814年のパリ条約で、マルタはイギリス帝国の一部とされた。しかし19世紀を通じてマルタではしだいに自治をもとめる声が高まり、1921年、第1次世界大戦中の支援への見返りとして、イギリスは住民による議会をみとめた。第2次世界大戦中、連合国軍の戦闘機や潜水艦の基地となったマルタはドイツ軍とイタリア軍の海と空からのはげしい攻撃にさらされた。
1961年11月、域内自治憲法が制定され、64年5月の国民投票で独立憲法が可決された。最初の選挙では、イギリス連邦内での独立をうったえた国民党(PN)が、連邦からの独立を主張する労働党(MLP)に勝利し、国民党の党首オリビエが首相に就任した。マルタは64年9月21日に正式に独立し、同年12月には国際連合に加盟した。
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