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1971年6月の選挙で、オリビエひきいる国民党は労働党に敗北、かわってミントフを首相とする労働党政権が成立した。ミントフは74年、総督を廃して大統領制を導入し、マルタの政治体制を共和制にかえた。 これにつづく数年間、マルタの政治は2極に分裂し、ミントフはその強硬な戦術を批判された。外交では独自路線を主張して、NATO(北大西洋条約機構)のイギリス軍に基地を提供するイギリスとの協定の更新を拒否し、1979年にイギリス軍はマルタから撤退した。70年代の後半、マルタはリビアと緊密な関係をむすぶが、80年代には地中海での石油採掘権をめぐって対立した。81年12月、ミントフ第3次内閣が成立するが、84年にミントフは辞任、かわって教育相のボニーチが首相に就任した。
1987年の選挙では、16年間野党だった国民党が勝利し、アダミが首相となった。90年、マルタは95年を期限とするリビアとの相互協力条約をむすび、両国間での査証の廃止や共通のラジオ局「地中海の声」開局で、両国の関係が強化された。また、国民党政権は、公益事業の民営化、規制緩和などで自由主義経済(→ 自由主義)をすすめて90年にEU(当時はEC:ヨーロッパ共同体)へ正式加盟を申請し、95年には、NATO(北大西洋条約機構)の安全保障構想である「平和のためのパートナーシップ」(PfP)の枠組み協定に調印した。
1996年10月の選挙では労働党が勝利し、党首サントが首相に就任した。9年ぶりに政権に復帰した労働党はEU(ヨーロッパ連合)加盟に否定的で、EU加盟申請を凍結、PfP協定からの離脱も通告した。 1998年9月、事実上の内閣不信任の後、総選挙がおこなわれ、国民党が勝利した。首相にかえりざいたアダミは、あらためてEU加盟を申請、2002年12月のEU首脳会議で加盟が承認された。03年3月におこなわれた国民投票では、賛成53%、反対47%の僅差(きんさ)ながらEU加盟を支持する国民がうわまわり、04年5月、マルタは正式にEUに加盟した。加盟国中、面積も人口も最小である。 2004年3月、首相は国民党の新党首に選出されたゴンズィに交代し、アダミは4月に大統領に就任した。ゴンズィ政権は社会保障の削減などで財政赤字の改善につとめて、07年2月、ユーロ圏参加を申請。インフレ率、金利、財政赤字などのユーロ導入条件をみたしたと承認されて、08年1月1日、マルタはキプロスとともにユーロを導入した。
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