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プロローグ; 倫理学の原理; 古代ギリシャの倫理学; ソクラテスの弟子たち; ストア学派; エピクロス学派; キリスト教; 教父とスコラ学者; 宗教改革以後; 近代の倫理学; ダーウィン以前の倫理学; 功利主義; ヘーゲルの倫理学; ダーウィン以後の倫理学; 精神分析と倫理学; 現代の倫理学
英語のエシックス(ethics)という語は、「性格」「慣習」を意味するギリシャ語のエートス(ethos)に由来する。この語は人間の行動の原理原則(倫理、道徳)とその研究(倫理学、道徳哲学)の両方を意味する。ここでは後者のみ、それも西洋の倫理学のみに限定してのべる。 哲学の一分野である倫理学は、化学や物理学のような経験科学とも、数学や論理学のような形式的科学ともちがって、人間の行動の規範(善悪)にかかわるので、規範科学とよばれる。その関心領域は、心理学をふくむ社会科学と一部重複する。社会科学も、ある社会の人々がどんな規範にしたがっているか、その規範を形成するどんな文化的条件があるかなどを、実証的に研究するからである。
哲学者は善い行動を2つにわける。ひとつはそれ自体で善い行動、もうひとつはほかの善の手段としての善い行動である。前者はほかのものの手段にならない究極目的、最高善である。倫理学史をふりかえってみると、最高善といわれてきたものには、第1に幸福ないし快楽が、第2に義務あるいは徳が、第3に自分の可能性の完全な開花がある。 ある行為がなぜ善なのかを説明する理由は3つある。第1は「神の命令だから」、第2は「自然本来の姿だから」、第3は「理性のルールだから」という理由である。
前5世紀のギリシャに弁論術、論争術、政治学をおしえるソフィストといわれる一群の哲学者たちがいた。彼らは、どの国でもなりたつ客観的なモラルなどないと考えた。ソフィストのひとりプロタゴラスは、人間の判断は主観的であり、人が知るものはその人だけにしかあてはまらないとおしえた。ゴルギアスというソフィストはもっと極端で、なにも存在しないし、なにかが存在しても人はそれを知ることができないし、知りえたとしても他人にそれをつたえることはできないと主張した。トラシュマコスというソフィストは、権力こそ正義であると考えた。 これらのソフィストたちに反対したのがソクラテスだった。弟子プラトンの対話編をとおして知られるソクラテスの主張は、次のようなものである。徳は知である。徳のなんたるかを知った人だけが、有徳になる。悪は徳の無知から生じる。だからこそ教育は人々を道徳的にしうる、とソクラテスはいうのである。
ソクラテスの教えをひきついだ弟子たちは、4つにわかれた。キュニコス学派、キュレネ学派、メガラ学派そしてプラトンである。 キュニコス学派は禁欲主義をとる。アンティステネスの主張によれば、徳とは自己を制御することであり、この徳はおしえることができる。キュニコス学派は快楽を悪とみなし、あらゆる虚栄心を否定する。ソクラテスはわざとぼろをまとったアンティステネスに、「君の上着の穴から君の虚栄心がみえるよ」とおしえたが、虚栄心のためにぼろをまとうことも、この派では否定されるのである。 キュレネ学派は快楽主義をとる。彼らによれば、快楽は基本的には善いものであり、いろいろな快楽の間に優劣の差はなく、ただ快楽の度合いと持続で優劣がきまる。 メガラ学派の祖エウクレイデスによれば、善は知とか神とか理性とか多くの名をもっているが、結局はひとつのものである。善は、ただ論理学的な研究によってのみあらわになる宇宙の究極的な秘密である。
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