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マケドニア(国)

マケドニア Macedonia
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

ヨーロッパ南東部、バルカン半島南東部にある共和国。北はセルビア、東はブルガリア、南はギリシャ、西はアルバニアと国境を接する。かつてはユーゴスラビア(旧)を構成する共和国だったが、1991年11月にマケドニア共和国として独立した。しかし、マケドニアという名称の使用をめぐってギリシャとの間に論争がおき、93年4月、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国という暫定的な国名で国際連合に加盟した。面積は2万5713km²。人口は206万1315人(2008年推計)。首都はスコピエで、同国最大の都市。

II

国土と資源

内陸国で、地形は深い渓谷とごつごつした岩山や丘陵が好対照をみせている。国土の35%(2005年)がブナ、マツ、カシなどの森林で、最高峰は標高2764mのコラブ山。オフリド、プレスパ、ドイランが三大湖である。最大河川のバルダル川は北西部に源を発し、ほぼ中央部をながれたのち、アクシオス川となってギリシャを貫流し、エーゲ海にそそぐ。

山岳地帯は夏から秋にかけては乾燥して暑く、冬は寒く降雪量が多い。渓谷地帯は年間をとおして温暖である。スコピエ周辺は雨が多い。天然資源にめぐまれ、亜鉛、鉛、マンガン、ニッケル、クロム、銅、鉄鉱石、タングステンを産する。鉱泉や温泉もある。地震地帯にあり、1963年のスコピエ地震で大きな被害をこうむった。

III

住民

南スラブ系(スラブ人)のマケドニア人が64%を占める。その大部分はマケドニア正教徒(東方正教会)で、スラブ語派のマケドニア語を話す。この言語はブルガリア語ときわめてよく似ているが、ブルガリアはマケドニア語を独自の言語とみとめていない。最大の少数民族アルバニア人は25%を占め(アルバニア人自身の主張では30%以上)、多くはイスラム教徒である。ほかにトルコ人4%、セルビア人2%、ロム(ジプシー)3%など。人口の60%(2005年)が都市部にすむ。主要な都市としては首都スコピエ(人口は51万5419人(2004年推計))のほかクマノボ(10万5484人(2004年推計))、テトボ(8万6580人(2004年推計))などがある。

中等教育の就学率は85%(2002-2003年)。おもな大学はスコピエ大学(1949年創立)、ビトラ大学(1979)である。アルバニア系住民はアルバニア語による独自の大学を要求し、政府の認可をえずに1995年にテトボ大学を開設した。2000年、マケドニア議会は高等教育法を採択し、テトボ大学を国立大学として正式にみとめることはしなかったが、卒業をひかえた学生の学位をみとめることにした。

IV

経済

マケドニアは経済的に旧ユーゴスラビア国内の最後進地域であり、1991年のGDP(国内総生産)は最先進地域であるスロベニアの3分の1にすぎなかった。独立後はさらに低下がつづいている。失業率は2004年に37%に達している。1992年からの新ユーゴスラビア(セルビア・モンテネグロ)に対する国際連合の経済制裁のために、マケドニアは重要な農産物市場をうしなった。他方、マケドニアの国名問題をめぐる対立からギリシャは経済封鎖という手段にうったえ、マケドニアの貿易の大部分をあつかっていたテッサロニキ港の使用を禁じたため、マケドニアの苦境はさらに深まった。95年に旧ユーゴスラビアの他地域との貿易が再開したことなどから、96年以降、成長率はおおむねプラスで推移している。

農業と石炭産業は自給自足が可能だが、他の燃料や機械、輸送設備、工業製品は輸入にたよっている。GDPの内訳は、農林水産業などの第1次産業13%(2006年)、鉱工業や建設業などの第2次産業29%、サービス業などの第3次産業58%。重要な収入源のひとつである観光は2001年の民族紛争の影響で一時減少したが、その後は回復にむかっている。

IMF(国際通貨基金)と世界銀行の指導下で、政府は経済振興をめざして、通貨改革や市場化、民営化をすすめている。1992年4月には国立銀行を創設し、93年5月から公式通貨デナール(マケドニア・デナール)を導入した。2003年、WTO(世界貿易機関)に加盟、06年にはCEFTA(中欧自由貿易協定)に加盟した。

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