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ユングは刺激語に対する連想検査をとおして、ある人は特定の語への反応がおくれたり、反応語を思いつくことができなかったり、明らかに奇妙な反応をするなど、さまざまな障害が生じることに気づいた。 たとえば、ある患者は白という刺激語に対して長い時間をおいてから黒と答えたが、このように反応時間がおくれたのは、この患者にはある人の死に内心こだわるところがあって、白→白布→死人の顔→喪→黒というような連想がそこで生まれたためであった。
ユングによれば、そのようなことがおこるのは、心に深くのこるある体験(たとえばある人の死)をきっかけに、一連の心的表象(その人の死に関連した白や黒の事物や、そのときにおきたさまざまな出来事)がある感情(たとえば、悲しみと奇妙な解放感など)によって色づけられ、ひとつの心的複合(コンプレックス)をなし、それが無意識(→ 意識)に沈潜しているためだという。個人の無意識の中にコンプレックスがあると、ある外的な刺激があたえられたときにそのコンプレックスが刺激され、そのコンプレックスにむすびついた一連の心的表象群が意識の統制をこえて活性化されてくる。 こう考えたユングは、無意識のうちに存在し、ある体験を核にしてなんらかの感情によってむすびあわされている一群の心的表象の集まりを、コンプレックスとよぶようになった。
コンプレックスの個人史的な成立過程は、次のような例を考えてみればわかりやすい。 たとえば、両親の性交場面を目撃したある幼児は、それをなにかおそろしいこととうけとめ、そのおそろしいことが意識にのぼるのをまぬがれるために、そこでの出来事やそのとき感じた恐怖感情などを無意識の中に抑圧する。精神分析ではこれを原光景コンプレックスとよぶが、その後、その子が成長する中で、暴力的な場面はもちろん、馬が荷をひいてはげしい息遣いをする場面をみただけで、自分でも訳のわからない恐怖心がつのってしまうようになった。 こうしたことがおきるのは、幼児期に経験した原光景の恐怖体験を核にして、イメージ的、感情的につながりのあるさまざまな出来事がそこに吸収され、ひとつの複合した心的表象群(コンプレックス)を形づくるようになったからである。 ところが、その子はなぜ自分はそのような場面がそれほどこわいのか自分でもわからず、それ以来、すっかり馬恐怖症になってしまった。 こうした例からわかるように、コンプレックスとは、個人の無意識の中に抑圧されるなんらかの心的外傷体験を核として、発達の過程でその体験の周りにイメージ的、感情的に関連深いさまざまな出来事を吸収して巨大になった、無意識内の心的複合体である。それは、ときに意識の統制をこえて(無意識のうちに)その個人の行動や感情の持ち方までも支配し、それによって自由な考え方や行動パターンをさまたげるほど、その人をしばることさえある、陰の支配者、司令塔のようなものなのである。
フロイトはユングのコンプレックス論を当初は高く評価し、上にみたような恐怖症をはじめ、言いまちがいや失策行為、あるいは個人的なこだわりといった日常的な出来事も、コンプレックスによるものとして説明できると考えた。なかでも、両親との近親相姦(そうかん:→ インセスト・タブー)願望やそれをめぐる葛藤(かっとう)が無意識の中に抑圧されて生じるといわれたエディプス・コンプレックスは、神経症患者の症状形成の中心に位置するものとして重要視されることになった。 フロイトの理解するコンプレックスは、どれも心的外傷経験に根ざし、個人の無意識の中にうめこまれた否定的な意味をもつ。それゆえフロイトは、人はコンプレックスを意識化することによってそれをのりこえ、それから解放されねばならないという。 エディプス・コンプレックスとは、フロイトがソフォクレスの有名な戯曲「オイディプス王」にちなんで名づけたものである。これは、デルフォイの神の「将来、その子は父を殺して母をめとるであろう」という不吉な予言のもとに生まれたオイディプス王子が、結局はその予言どおりに父を殺し、母と結婚することになって破局をむかえるという伝説にもとづく、典型的なギリシャ悲劇のひとつである。 フロイトは幼児が異性の親の愛情を独占しようとして同性の親に敵意や反感をいだくようになる事実と、この戯曲の内容が重なることに注目し、神経症患者の思考や行動の独特のゆがみ(症状)が、患者の幼児期における両親との早熟な三角関係に根をもつことを洞察した。それ以来、両親との早熟な三角関係に根ざすコンプレックスをエディプス・コンプレックスとよぶようになった。 三角関係の中にまきこまれた幼児は、異性の親の愛情を独占することができない現実の前に、一般的にはその三角関係に敗北することになる。そしてそのとき、幼児はいったんは敵意と反感をむけた同性の親に同一化しようとし、同性の親を自身のうちにとりこむことによって、同性の親と同じ性アイデンティティを形成し、同性の親が体現していた善悪の分別の体系をとりこんで超自我(→ 自我)を形成するのである。しかし、エディプス関係の乗り越えの過程には、さまざまな葛藤が生じる可能性があり、また、その葛藤体験が無意識のうちに抑圧される可能性がある。 不幸にしてその可能性が現実になったとき、その葛藤体験は一種のブラックホールのような核となり、幼児がそれ以後にはりめぐらす防衛機制も、性役割取得や超自我形成も、すべてそこに吸収し、ふくれあがっていくようになる。他面からみれば、そのコンプレックスが幼児のその後のさまざまな行動を直接、間接に支配するコントロール・タワーの役割をはたすようになるのである。
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