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項目構成
宇宙空間は人間にとって多くの面でこのましくない環境である。空気も酸素もないために、人間は呼吸することができない。なんの保護もうけていない人間の身体は、真空の宇宙空間では数秒のうちに爆発的な減圧によって破壊されてしまう。惑星の影になった部分では温度が絶対零度に近づくし、太陽放射を直接あびれば致命的な高温になってしまう。高エネルギーの太陽放射と宇宙線も、地球大気によってまもられていない人間にとって致命的なものとなりうる。 このような状況は宇宙船の中でつかわれる装置や機械にも影響をあたえうるので、これらの設計と建設は宇宙環境にあわせておこなわなければならない。無重量状態が人間にどんな影響をあたえるかを知るために、宇宙空間での実験が長期にわたって集中的におこなわれてきた(→ 宇宙・航空医学)。 宇宙環境から人間を保護する方法がいくつかある。現在、人間は地球と同じ状況をほぼ再現した、加圧空気あるいは酸素の供給される気密室あるいは宇宙服の中で行動している。気密室や宇宙服の温度・湿度は空気調整装置で制御されている。宇宙船の外側表面での吸収と反射によって、宇宙船に影響をおよぼす熱放射の量を調整する。さらに宇宙飛行は地球の周りにあるバン・アレン帯からの強い放射をさけるように計画されている。 将来の長期にわたる惑星間飛行では、太陽放射の嵐(あらし)から身をまもるために厚いシールドをつけるか、乗組員を宇宙船の中央部分にいれて搭載物資や装置でとりかこみ、保護するようにしなければならないだろう。長期にわたる宇宙旅行や、地球の周りをまわる人工衛星での長期滞在の場合、宇宙船を回転させ、遠心力によって人工的な重力をつくることで無重量の効果を軽減できるかもしれない。
人々は現実に可能になる何千年も前から宇宙飛行を夢みてきた。その夢の証拠が、さかのぼること前4000年のバビロニアの書物をはじめとして、神話や物語としてえがかれている。古代ギリシャのダイダロスとイカロスの神話もまたとぶことへの普遍的な望みを反映している。2世紀には、ギリシャの作家ルキアノスが想像上の月旅行について書いている。 17世紀初めにはドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが、月旅行に関する科学小説とでもいうべき「夢」を書いた。フランスの文学者のボルテールは「ミクロメガス」(1752)の中でシリウスと土星への旅についてかたっている。1865年にはフランスの作家ジュール・ベルヌが「地球から月へ」の中で宇宙旅行をえがいた。宇宙飛行への夢は20世紀になってもさめることはなく、イギリスの作家H.G.ウェルズが「宇宙戦争」(1898)、「月世界最初の人間」(1901)を出版した。最近では、宇宙飛行への夢はサイエンス・フィクション(SF)によってはぐくまれている。
宇宙飛行がたんなる夢であった時代には、天文学、化学、数学、気象学、物理学の研究者たちは、太陽系、星の世界、地球の大気について理解を深めようとしていた。前7~前6世紀にはギリシャの哲学者タレスとピタゴラスが地球は球であることに気づいた。前3世紀にはアリスタルコスが地球が太陽の周りをまわっていると主張した。前2世紀にヒッパルコスは星と月の運動について論じていた。2世紀になるとアレクサンドリアのプトレマイオスが、プトレマイオス体系(天動説)の中で地球を太陽系の中心にすえた。
プトレマイオスの時代から約1400年後、ポーランドの天文学者ニコラス・コペルニクスが、地球をふくむ惑星が太陽の周りをまわっているという地動説を体系的に説明した(→ コペルニクス体系)。16世紀後半、デンマークのティコ・ブラーエの観測データをもとに、ケプラーが惑星の運動の法則(→ ケプラーの法則)を発見した。ガリレイ、エドモント・ハリー、ウィリアム・ハーシェル、ジェームズ・ジーンズなども宇宙航行学に直接的な貢献をした天文学者である。 物理学と数学の発達も宇宙航行学の基礎をかためるのに貢献した。1657年、ドイツの物理学者ゲーリケは「マクデブルクの半球の実験」をおこない、真空を維持できることを証明して、「自然は真空を拒否する」という古い理論が誤りであることをしめした。17世紀末、ニュートンは万有引力の法則と運動の法則を公式化した。ニュートンの運動の法則は、宇宙船の推進と軌道運動についての基本原理となっている。 こうして、はやい時期に科学的な基礎がかたまったにもかかわらず、宇宙船のロケット推進や誘導、制御をする方法が確立する20世紀まで、宇宙飛行は可能にならなかった。
ロケット推進の技術も起源は古い。古代のロケットは燃料に火薬をつかい、今日の花火によく似ている。1232年、中国では開封の町をモンゴル帝国の侵攻から防御するのにロケットがつかわれたという。ルネサンス以後、ヨーロッパの戦争でもロケットがつかわれたらしく、実際に軍事でつかわれた記録がのこっている。1804年にはイギリスの軍隊が射程距離約1830mのロケットを装備したロケット部隊を創設した。 1890年、ドイツの法学部の学生ヘルマン・ガンスウィンドは固体推進薬をつかう宇宙船を考えたが、これは安定性の問題に注意をはらう必要性を大きくアピールすることになった。ロシアのコンスタンティン・ツィオルコフスキーは1903年に著書「反動装置をもちいた宇宙空間探検」の中で、宇宙船に液体推進薬をつかうロケットを提案した。23年、ドイツの数学者・物理学者ヘルマン・オーベルトが「惑星間空間へのロケット」を出版した。この本にドイツの建築技師ウォルター・ホフマンが加筆して、25年に「天体へ到達する可能性」を出版した。この中には惑星間軌道についての最初のくわしい計算がのせられている。 アメリカにおけるロケット推進のパイオニアは、クラーク・カレッジ(現在はクラーク大学)の物理学教授ロバート・ゴダードであった。彼は1920年代初めに液体燃料をつかったロケット実験をはじめた。そして、26年に液体燃料によるロケットの打ち上げにはじめて成功した。 第2次世界大戦(1939~45)によって、長距離弾道飛行ロケットの開発は、弾みがついた。アメリカ、ソ連、イギリス、ドイツは軍事目的のロケット開発に着手した。もっとも成功したのがドイツで、バルト海沿岸のペーネミュンデで、ロンドンの攻撃につかわれた液体推進のロケットV-2を開発した。その生産は、ミッテルバウ・ドーラの地下工場で強制収容所の収容者たちの奴隷的労働によっておこなわれ、多くの収容者が犠牲になった。戦争がおわるとアメリカ軍は多くのV-2をもちかえり、垂直飛行の実験につかった。ドイツのエンジニアの一部は戦後ソ連にうつったが、ウォルター・ドルンベルガーとウェルナー・フォン・ブラウンらの主要なロケット専門家はその責任をとわれることなく、アメリカに移住した。→ミサイルの「ミサイルの歴史」
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