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スプートニク1号は直径58cm、重さ83kgのアルミニウム製の球形で、地球の周りを96.2分で1周した。この人工衛星は楕円軌道をとり、遠地点は946km、近地点は227kmである。また、この球の中につみこまれた装置は、21日間、宇宙線、流星体、上層大気の密度と温度についてのデータを送信してきた。57日目にスプートニク1号は地球大気に再突入し、空力熱のためにもえてしまった。 第2の人工衛星もまたソ連製で、スプートニク2号である。1957年11月3日にライカ犬をのせてうちあげられ、宇宙医学に重要な情報をおくってきた。スプートニク2号は打ち上げから162日後に地球の大気に再突入し、破壊された。 スプートニク2号がまだ軌道上にあった1958年1月31日、フロリダ州ケープカナベラル(1963~73年はケープ・ケネディとよばれた)からアメリカ初の人工衛星エクスプローラ1号がうちあげられた。重さ14kg、直径15cm、長さ203cmの円筒形の人工衛星は112日間、宇宙線と微小隕石の測定結果を送信してきたが、その中にはバン・アレン帯の発見へとつながるデータもふくまれていた。 1958年3月17日、アメリカ第2の人工衛星バンガード2号がうちあげられた。その軌道がどのように変化したかを正確にしらべることにより、地球がわずかに洋ナシの形をしていることがわかった。この衛星は太陽エネルギーをつかって6年以上も信号をおくりつづけた。つづいて58年3月26日にはエクスプローラ3号が、5月15日にはスプートニク3号がうちあげられた。1327kgのスプートニク3号は、60年4月に軌道が低下するまで太陽放射、宇宙線、磁場などを測定しつづけた。
地球にもっとも近い天体である月は、多くの宇宙計画の対象となってきた。1959年9月12日にうちあげられたソ連のルナ2号は36時間後に月に衝突した。月の科学的探査はこのときからはじまった。月面裏側の最初の写真は59年10月4日にうちあげられたルナ3号によって撮影された。64年7月28日にアメリカがうちあげたレインジャー7号は、月に衝突する直前に高度が約1800kmから約300kmにさがるまで、月面のテレビ画像を4306枚送信してきた。地球にいるわたしたちにはじめての月のクローズアップ写真を提供したのである。
1966年1月31日、ソ連のルナ9号は、月面へのはじめての軟着陸に成功した。軟着陸とは、破壊されることなく着陸することをいう。5月30日、アメリカのサーベイヤー1号もこれにつづいて軟着陸に成功し、1万1237枚の月のクローズアップ写真を地球におくってきた。 月探査への興味は、月に人間を着陸させる計画にあつまっていた。これにむけてさらに多くの無人月飛行がおこなわれ、1967年にはサーベイヤー3号と5号も月に軟着陸し、多くの月面のテレビ画像を地球におくってきた。サーベイヤー3号は月の土壌のサンプルを採取し、テレビカメラでそれらをしらべた。サーベイヤー5号はアルファ粒子散乱法をつかって月面を化学的に分析した。これは地球外の天体をその場で分析したはじめてのケースである。
月着陸のための調査では、もうひとつのアメリカの宇宙船ルナ・オービターが活躍した。1966年と67年に5機のルナ・オービターが月をまわった。そして、1~3号は月面から数十キロメートルの低高度で、4号は高高度から月面全体を、5号は月の裏側の写真をそれぞれ何千枚も撮影し、データを地球におくってきた。これらの写真をもとに、アポロ計画のための着陸地点がえらばれたのである。
ソ連がおこなったほかの2つの無人自動月計画も注目に値する。1970年9月12日にうちあげたルナ16号は月に着陸し、約113gの月の土壌を密封した容器にいれ、地球にもどった。同年11月10日にうちあげられたルナ17号は、自動月面車ルノホート1号を軟着陸させた。この月面車にはテレビカメラと太陽電池が装備されており、地球から遠隔操作されながら10日間、10.5kmをはしり、テレビ映像と科学データをおくってきた。73年、ルナ21号により月面の別の地点に着地したルノホート2号は35kmをはしって、1号と同じことをくりかえした。ルナ計画は76年のルナ24号で終了した。日本でも90年(平成2)1月に宇宙科学研究所(現、宇宙航空研究開発機構)が「ひてん」をうちあげ、3月には「ひてん」から分離した「はごろも」を月の周回軌道に投入することに成功した。なお、「ひてん」自身も月をつかったスイングバイの実験などをおこなったのち92年に月の周回軌道にのり、93年に月面に落下した。
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