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宇宙探査

宇宙探査 うちゅうたんさ Space Exploration
百科事典項目
マルチメディア
ウォスホートの宇宙飛行士ウォスホートの宇宙飛行士
項目構成
2 A

ジェミニ計画

アメリカのジェミニ計画は月にいくのに必要とされる技術を開発するために計画されていた。1961年5月、アメリカ大統領ジョン・F.ケネディは「60年代がおわる前に」人を月におくって無事に地球に帰還させることを目的としたアポロ計画をスタートさせた。この国家的な取り組みによって、大規模な飛行計画が集中的にはじめられたのである。その前段階のジェミニ計画は2人の宇宙飛行士を搭乗させ、長時間にわたる操縦をおこない、ほかの宇宙船とのランデブーとドッキングの技術を開発するように計画されていた。65~66年の間に10回の飛行がおこなわれた。

2 B

船外活動

ジェミニ4号ではホワイトがアメリカの宇宙飛行士としてはじめて船外活動をおこない、圧縮ガスとジェットによる操縦装置をつかって、21分間宇宙ですごした。

1965年12月、ジェミニ6号と7号が軌道上で30cmの距離でランデブーをおこなった。20時間軌道をまわったあと、シラーとスタフォードののったジェミニ6号は着陸し、ボーマンとラベルののったジェミニ7号はさらに軌道をまわり、約331時間をすごした。このほぼ14日間の飛行によってえられた医学データは、10日間のアポロ計画を成功させるために役だつものであった。さらにこの飛行は、水素と酸素をつかった燃料電池やさまざまなシステムの信頼性も証明してみせた。つづくジェミニ10号、11号、12号は、前もって軌道にうちあげてあった宇宙船とのランデブーとドッキングに成功した。

1966年11月の最後の飛行までに、アメリカの宇宙飛行士の宇宙滞在時間は約1024時間に達し、アポロ計画の準備は着々とすすんでいった。

3

ソユーズとアポロ

しかし、1967年はアメリカ、ソ連両国にとって悲劇的な年であった。アメリカのアポロ宇宙船は司令船(CM)、機械船(SM)、月着陸船(LM)からなり、3人の宇宙飛行士がのりこむが、1月27日、ケープ・ケネディでの地上テストのとき、3人がのりこんだ司令船で火災が発生した。宇宙船の中は加圧した純粋酸素でみたされていたため、3人の宇宙飛行士グリソム、ホワイト、チャフィーはふきでた炎につつまれ、焼死した。この惨事により、宇宙船の設計と材質を根本的にみなおすこととなり、アポロ計画は1年以上おくれることになった。

3 A

ソユーズ

同1967年4月23日、ソ連では、ソユーズ1号がうちあげられた。ソユーズ1号にはコマロフが搭乗していたが、地球の大気圏に再突入し、着陸パラシュートを開く時におそらく紐(ひも)がもつれたために墜落死してしまった。この事故によってソ連の宇宙計画は約2年間おくれることになった。ソユーズ

3 B

アポロ

1968年10月11日、最初の有人飛行のアポロ宇宙船7号がサターン1Bロケットによってうちあげられた。宇宙飛行士のシラー、カニンガム、エイゼルは宇宙船の性能をチェックし、地球の写真をとり、テレビ画像を送信しながら地球を173周した。68年12月21日打ち上げのアポロ8号は、ボーマン、ラベル、アンダースをのせて月の周りを10周したのち地球に帰還した。ちなみに、アポロ8号以降の打ち上げにはすべてサターンVロケットが利用された。サターンVは60年代初頭から開発された最大級のロケットで、直径10.1m、全長110.6m、重量は2913tもあった。

マクディビット、スコット、シュワイカートをのせたアポロ9号は、161周する間にアポロ着陸船の切り離し作業、ランデブー、ドッキングのテストをおこなった。スタッフォード、ヤング、サーナンによるアポロ10号は月を31回周回し、月着陸のリハーサルをおこなった。計画どおりスタッフォードとサーナンはアポロ司令船から月着陸船へのりうつり、もう1人の宇宙飛行士ヤングが司令船の操縦をしている間に、月面から高度14.3kmのところまで下降した。その後、月着陸船は上昇して司令船とのランデブーとドッキングをおこなった。2人の宇宙飛行士が司令船へと移動したあと、着陸船を投棄し、地球にもどる軌道に入るために機械船のロケットに点火して無事に地球にもどった。こうしてアポロ計画によっていよいよ宇宙飛行士を月に着陸させる準備がととのった。

一方、ソ連は無人のゾンド探査機をうちあげ、月を周回させた。ベレゴボイは、1968年10月にソユーズ3号で地球を60周し、ソユーズ4号と5号は69年1月に地球軌道上でランデブーとドッキングに成功した。宇宙船が連結されている間に5号の宇宙飛行士エリセーエフとフルノフの2人は宇宙服を着て、ソユーズ5号からシャタロフが操縦するソユーズ4号へと船外をとおって移動した。同年10月には、1日ずらしてうちあげられたソユーズ6号、7号、8号が軌道上でランデブーをしたが、ドッキングはしなかった。2人の宇宙飛行士をのせたソユーズ9号は、70年6月に18日という最長の宇宙飛行記録をつくった。

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