Windows Live® の検索結果

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果
ページ 9 / 11

宇宙探査

宇宙探査 うちゅうたんさ Space Exploration
百科事典項目
マルチメディア
ウォスホートの宇宙飛行士ウォスホートの宇宙飛行士
項目構成
VIII

月に立った人類

1969年、人類は月にたつという長い間まちのぞんでいた目標を達成した。人類初の月面着陸をなしとげたアポロ11号は7月16日にうちあげられた。月をまわる軌道に入ったあと、宇宙飛行士エドウィン・オルドリンとニール・アームストロングの2人は月着陸船に移乗した。マイケル・コリンズは月着陸船を分離したあと、月をまわる軌道にのこり、司令船と機械船の操縦をおこなった。

月着陸船は7月20日に月面におり、「静かの海」の端に着陸した。数時間後、大きな宇宙服で身をつつんだアームストロングがはしごをおり、日本時間の21日午前5時17分39秒に月面に足をおろした。彼は、「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな1歩である」とつたえてきた。まもなくオルドリンもおりて、2人は月面を2時間以上あるいた。22kgの土壌のサンプルをとり、月面の写真撮影をし、太陽風の実験装置やレーザービーム反射鏡(レーザー)、月震実験装置(地震学)を設置した。

アームストロングとオルドリンはアメリカの国旗をたて、人工衛星による通信回線をつかってホワイトハウスにいるアメリカ大統領ニクソンと話をした。彼らのようすは衛星通信によって地球にテレビ生中継された。月からの帰還は、月着陸船の下半分を打ち上げ基地としてつかい、上段だけで月をはなれた。上段は司令船と機械船にドッキングし、宇宙飛行士が宇宙船にもどったあと投棄され、ハワイ近くの太平洋上に着水し、7月24日に回収された。

「月の人」によって地球に有害物がもちこまれる可能性も考えられて、帰還した宇宙飛行士たちは3週間隔離された。

1

アポロ11号以降のアポロ計画

アポロ11号の成功につづき、1972年12月7日にうちあげられた17号までの計6回の打ち上げと5回の月面着陸がおこなわれた。この打ち上げのうち、70年4月11日にうちあげられたアポロ13号は、機械船の電源用酸素タンクが爆発したため月着陸を中止し、月の裏面をまわり奇跡的に生還した。当初は20号まで打ち上げが予定されていたが、アメリカの宇宙関連予算が削減されたため、17号まででアポロ計画は終了した。くわしくはアポロ計画を参照のこと。

2

中国の有人宇宙飛行

2003年10月15日、中国はカンスー省(甘粛省)にあるチウチュワン(酒泉)衛星発射センターから長征(チャンチェン)2Fロケットをつかい、初の有人宇宙船「神舟(シェンチョウ)5号」の打ち上げに成功した。これは1961年のソ連(4月)、アメリカ(5月)についで3番目の成功であった。楊利偉(ヤン・リーウェイ)宇宙飛行士は高度343kmの円軌道で地球を14周(飛行距離は60万km)し、21時間23分の飛行ののち、16日に無事帰還した。

IX

宇宙ステーション

ソ連のサリュートとアメリカのスカイラブは、宇宙ステーションとして設計された最初の宇宙船である。宇宙ステーションは、長期にわたって地球をまわり、乗組員がほかの宇宙船でやってきたりかえったりする宇宙の基地であり、地球上ではできない実験や天文観測もすることができる。宇宙ステーション

1

ソ連の宇宙ステーション

重さが約17tのサリュート1号宇宙ステーションは1971年4月19日にうちあげられた。5日後、3人の宇宙飛行士をのせたソユーズ10号がドッキングをしたが、宇宙飛行士の移乗はおこなわれなかった。

同1971年6月にはソユーズ11号がサリュート1号とドッキングし、3人の乗組員が宇宙ステーションに入り、人間の宇宙滞在記録を24日にのばした。宇宙ステーションでは地球資源調査と生物学的実験がおこなわれた。しかし、地球に帰還したとき、ドブロボルスキー、ボルコフ、バツァエフの3人の宇宙飛行士は、バルブの空気漏れが原因で死亡しているのがみつかった。宇宙服を着ていなかったので即死に近かったと思われる。ソ連の計画はふたたび遅延を余儀なくされた。73年4月、サリュート2号宇宙ステーションがうちあげられたが、明らかに制御ができなくなって、軌道上にさまざまな部分をおとしてしまった。

前のページ
... | | | | | | | | |
次のページ
項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2008 Microsoft