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項目構成
アリストテレスによれば、善とは幸福のことであり、幸福とは自分の可能性を実現することである。人間の可能性とは、快楽をえることだけではなく、理性を発展させることであり、これが人間の魂に固有な形相である。つまり、理性という可能性を花ひらかせることが人間の幸福なのである。ところで理性的に生きるということは、欲望や感情に過度に反応せず、中庸をまもることである。たとえば臆病(おくびょう)と蛮勇の中庸が勇気であり、けちと浪費の中庸が気前のよさである。 人間の社会にはさまざまな政治形態が存在するが、そのうちのどれが最適な政体かは、その社会の自然環境、文化的伝統、産業などの条件によってことなってくる。アリストテレスの政治学は、理想国家を論じる抽象的な理論というよりも、具体的な国家形態を収集して研究するもので、この点でもプラトンとことなる。リュケイオンの図書館には158の国家の国法が収録されていたという。アリストテレス自身は、ギリシャの奴隷制をみとめたが、支配者も奴隷も同じ利害をもつのだから、支配者はその権力を濫用してはならないと考えた。 → 倫理学
アリストテレスは、論理学、つまりただしい推論の規則をつくりあげた。基本的な推論は、三段論法である。三段論法は、2つの命題をむすびつけて、そこから新しい結論をひきだす。たとえば「あらゆる人間は死ぬ」という命題と「あらゆるギリシャ人は人間である」という命題から、「あらゆるギリシャ人は死ぬ」という結論がひきだされる。彼はまた、弁証論(ディアレクティケ)と分析論を区別した。弁証論はある見解が論理的に一貫しているかどうかをテストする議論である。分析論は、経験にもとづく原理から演繹によって知識をひきだす議論である。こうした区別と考え方は、弁証論(問答法)を哲学の唯一の方法とみなしたプラトンのアカデメイアに対する批判でもあった。→ 論理学
自然界の事物は物質、植物、動物、人間、天体(知的な存在者)というふうに階層状につらなっていて、そのいちばん上の階層に神がいる、とアリストテレスはいう。自然界全体は、上の階層のものが下のものの目的になるような目的論的体系をもつ。神はあらゆる存在者があこがれる究極目的なのである。神自身はほかに目的をもたないからうごかないが、ほかのすべてをうごかす。愛されるものが愛するものをうごかすように、神はうごかないでうごかす。神は不動の動者、しかも世界全体の第一動者である。世界のうちに属するこのような神は、宗教的な神ではない。アリストテレスは自分の「神学」を、科学が必要とし、科学が確定できる範囲に限定しているからである。→ 形而上学
アリストテレスの著作は、古代ローマ帝国の没落後、ヨーロッパではうしなわれてしまった。9世紀にはアラブ人の学者が、アリストテレスをアラビア語に翻訳してイスラム世界に紹介した。アリストテレスを研究し注解したアラビア人哲学者でもっとも有名なのが、12世紀にスペインに生まれたイブン・ルシュドである。13世紀になると、アリストテレスの著作はラテン語に訳され、やがてトマス・アクィナスがアリストテレスの哲学にキリスト教神学の基礎をもとめた。アリストテレスの哲学は唯物論的世界観に通じるとして、最初トマス・アクィナスは抵抗をうけたが、のちひろく受けいれられるようになった。後期スコラ学は、トマス・アクィナスの採用したアリストテレス的基盤の上で、哲学的伝統をきずきあげていく。 アリストテレスの哲学の影響は、広範囲におよび、近代言語や常識の形成にまで関係している。まず、彼の第一動者の説は、神学で重要な役割をはたした。20世紀になるまで論理学とはアリストテレス論理学のことであった。ルネサンスにいたるまではもちろん、それ以後も、天文学者や詩人は彼の宇宙観を称賛した。19世紀にダーウィンが種の不変性の説を訂正するまで、動物学者はアリストテレスの著作をよりどころとしていた(→ 動物学)。20世紀になっても、アリストテレスの方法は再評価され、教育、文芸批評、行動の分析、政治の分析に対するその方法の意義も検討されている。 → 西洋哲学
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