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1856~1924 アメリカ合衆国第28代大統領。在任1913~21年。内政では、大統領として強い指導力を発揮して重要な改革法案を次々と立法化し、20世紀のアメリカ自由主義の方向を決定した。また、アメリカの国際問題に対する影響力を拡大したほか、国際連盟の設立にも大きな役割をはたした。 1856年、長老派牧師の子としてバージニア州スタントンに生まれる。ニュージャージー大学(現プリンストン大学)とバージニア大学でまなび、ジョージア州アトランタで1年間、弁護士を開業した。 1883年、ジョンズ・ホプキンズ大学に入学、86年に政治学で博士号を取得。90年、母校プリンストン大学の教授となる。1902年に学長に選出され、改革に着手。個人指導制の確立、イギリスの大学を手本とした複数のカレッジへの分割、大学院設置などをすすめた。これらの強引な取り組みは反感を買い、改革が挫折すると10年、学長を辞任する。
1910年、民主党からニュージャージー州知事に選出される。積極的に行政改革をすすめ、政党有力者の権限縮小、選挙運動や企業活動の規制強化、労働災害補償などの新しい法律を制定、成果をあげた。 1912年、民主党大統領候補として精力的に遊説し、大企業の活動を規制して「ニュー・フリーダム(新しい自由)」実現のための新たな改革の必要性をうったえ、選挙では、第3政党の革新党から立候補した元大統領ルーズベルトと共和党の現職タフト大統領をおさえて当選した。
大統領1期目は、強力なリーダーシップのもと国内政策にとりくみ、1913~14年、ニュー・フリーダム計画を実行にうつす。すなわち、アンダーウッド関税法による40年ぶりの関税引き下げ、連邦準備法による銀行制度改革、クレートン法での大企業抑制強化と、連邦取引委員会設立である。16年には、農家への政府融資と出荷援助を保証し、鉄道労働者の8時間労働、児童の労働禁止の法律(のちに最高裁判所によって無効とされる)を制定した。大統領の自由主義をよくあらわすのは、16年、改革派で有名な法律家ブランダイスを、ユダヤ人としてはじめて最高裁判所判事に任命したことである。 1916年の大統領選挙では、内政の実績により、農民・労働者・改革派から強く支持され、また、第1次世界大戦への不参戦を表明し、共和党候補ヒューズをやぶって再選された。
1913年、メキシコ革命が内戦に発展し、就任早々、外交問題にも精力をかたむける。内戦に介入したアメリカは、14年にベラクルスを占領、16年には革命指導者パンチョ・ビリャに対抗して軍を派遣している。 1914年8月、第1次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)、イギリスの海上封鎖で貿易がさまたげられ、ドイツの潜水艦によって船舶や人命が危険にさらされた。15年5月、イギリス客船ルシタニア号が撃沈され、128人のアメリカ人が死亡したのを機に、重大局面をむかえる。国務長官ブライアンが不参戦の立場から辞任、セオドア・ルーズベルトら批判者は、中立宣言をしたウィルソンを糾弾した。16年4月、ウィルソンはドイツに潜水艦作戦の自粛を約束させ、和平の調停工作をしたが、うまくいかなかった。17年2月、ドイツは無制限潜水艦作戦を再開し、4月2日、ウィルソンはついに宣戦布告を議会に要求、アメリカは第1次世界大戦に参戦した。
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